昭和モダン 戦前最後の自由なムーブメント

明治~現代

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大正デモクラシー、大正ロマンという言葉に象徴されるように、明治に比べると開放感のある時代だった大正時代。第一次世界大戦下では好景気に沸き、関東大震災という大災害も経験しました。

続いて始まるのが紅茶の美味しい喫茶店も出来て、ロマンティックが止まらない昭和の時代。

そんな昭和もだんだん遠くなって寂しい思いもありますが、昭和と聞くとだいたい戦争の苦い経験とその後の復興と経済成長、また歌謡曲とかドラマや映画のエンタメの印象が強いと思います。

昭和の名作の話をしたらネタが尽きないほどですね。

しかしながら昭和は63年余り続いています。戦前なんていうと暗い印象も強いですが、昭和モダンと呼ばれるわずかながら開放的な時期もあったのです…

昭和の始まり

大正15年/昭和元年(1,926年)12月25日、ご病気だった大正天皇が崩御。ほんの15年の自由な大正時代が終わりました。続いてすでに病気がちな大正天皇の代わり(摂政)を務めていた、裕仁親王が天皇に即位。63年余り続く激動の時代が始まります。

改元が成されたからといって突然大きく変わるというものでもなく、軍事クーデターが起こり軍部が政府を掌握する辺りから、徐々に戦争の影が近づく緊張感のある時代に突入します。

なので今しばらくは大正ロマンから引き続き、後に昭和モダンなどと呼ばれる自由な時代を謳歌する事となります。

昭和モダンなどというと現在の我々からすれば、何ともレトロチックな古き良き時代という雰囲気があります。

しかしモダンとはその時代を生きる人達には最先端。様々な新しい流行が庶民の間に浸透していきました。

昭和モダンとは

これも大正時代からの続きですが、西洋文化の影響を受けた流行の先端をいく「モボ・モガ」と呼ばれる若者が街を賑わしました。

一応「モボ・モガ」とは、モダンボーイ、モダンガールの略語です。

今風でいうとギャルとかギャル男みたいな感じなんですかね。ちょっと違う感じもするけど…

まだまだ男尊女卑の考えは強かったとは思いますが、引き続き女性の社会進出も浸透していきます。

大正14年(1,925年)にはラジオ放送も始まっており、昭和3年(1,928年)には全国放送に拡大。また蓄音機なるレコードプレーヤーも普及していきます。

それらによりジャズやシャンソンなどの西洋音楽も、庶民の間で聴かれるようになっていきます。

戦時中は敵性音楽といって処罰の対象になったりしますけどね…

小説や漫画が連載された「少年俱楽部」という月刊誌がすでに大正3年に創刊されていますが、昭和に入ると江戸川乱歩の「少年探偵団」や漫画「のらくろ」が連載されています。

そういえば子供の頃、のらくろガムっていうのが確か10円で売ってたっけ。

こういった少年向けの漫画も、戦時中は軍事色の濃いものが増えたりしました。

洋食屋さんも庶民の間で親しまれていますが、オムライスやカツレツなどメニューの多くは大正時代にはすでに誕生しています。

ちなみにとんかつは、今では千切りキャベツが付け合わされていますが、元々は温野菜だったそうです。なんでも忙しすぎて間に合わず、仕方なく千切りキャベツにしたらそれがはまったのだとか。

こんな感じで昭和モダンといっても、大正ロマンの流れで捉えた方がしっくりきますね。

ただ料理の味はどんどん美味しくなっていったんでしょうし、この時代を生きた若者的には流行り廃りというのも、もっと細かくあったんだろうとは思います。

今から100年後、平成にたまごっちやルーズソックスが流行とか言われても、平成を生きた人達からしたら

「そんな時代もあったね」

って感じですしね。

ここからはそんな昭和モダンが終わるまでの出来事を、ざっと取り上げていきます。最も昭和モダンの終わりといっても、戦争に入っていく頃とで時期的に分けているだけですけど…

南京事件

昭和2年(1,927年)3月、南京事件。これは蒋介石の国民革命軍が南京を占領する際、外国領事館と居留民を襲撃したという事件。民間人に多数の死傷者を出しており、物資や個人の所有物も略奪されています。女性の多くも凌辱されてしまいました。

アメリカやイギリスも被害にあっているので、居留民の保護をする傍ら、軍艦から南京城へ向けて約200発の砲弾が撃ち込まれました。

しかしながらイケイケの印象のある日本軍ですが、政府は現在のようなことなかれ主義を貫くのです。

この事が中国にナメられるキッカケとなったともいわれています。

この事件は蒋介石による指示ではなく、一部の国民党軍による勝手な暴動とか中国共産党による謀略ともいわれています。

なんにしろ被害を拡大させない為だったとしても、日本にはキッチリとケジメはとって欲しかったですね。

世界恐慌から昭和恐慌

昭和3年(1,928年)2月、日本初の普通選挙が実施されています。選挙はすでに明治時代から行われていますが、納税額などで選挙権があったりなかったりしました。この時は25歳以上の男子全員に選挙権が与えられていますね。

それでも選挙権は男子だけ。現在だったら田島陽子が黙ってないですよ。

いや田島陽子じゃなくても黙ってないわ!!

昭和4年(1,929年)10月、アメリカで起こった株価の暴落などから広がった世界恐慌が発生。

いろいろと要因は考えられるんでしょうけど、アメリカで第一次世界大戦から続いた好景気のバブルが弾けたって感じですかね。

これにより日本でも昭和5年(1,930年)、昭和恐慌と呼ばれる不況に陥りました。

そして昭和6年(1,931年)9月、日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破。さらに満州全体を占領するという満州事変が勃発。翌年には満州国を建国しました。

この辺りから政府内における軍部の権限が大きくなっていき、いよいよ戦争の時代へと入っていくのです…

この辺の話はまた別の記事で掘り下げたいと思います。

終わりに

いかがでしたでしょうか?

戦争が近づくまでのわずかな期間ではありましたが、戦前の昭和にも大正ロマンのような昭和モダンと呼ばれる華やかな時期がありました。現在と比べれば色々と困難であったとは思いますが、なんとなく羨ましくもあるんですよね。

ちなみに令和もやがて、令和○○○とか何かネーミングが付くのかな。

しかし令和に入ってから良い事ないね…

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