【関東大震災】未曾有の災害と朝鮮人虐殺事件

明治~現代

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第一次世界大戦が勃発して以来、好景気に沸いた日本。しかし大戦が終結するとそれも落ち着き、徐々に不況下を歩む事となります。そんな中でも比較的自由な大正時代を謳歌する都市部の人達。

しかし大正12年、関東地方を大地震が襲います。

関東大震災

東京と神奈川を中心に甚大なる被害をもたらしました。

そして震災直後の混乱の中、痛ましい事件も起こります…

関東大震災 発生

大正12年(1,923年)9月1日11時58分頃、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9、最大震度7の地震が発生しました。後に関東大震災と呼ばれる未曽有の大災害です。

この地震はマグニチュード7クラスの地震が複数回発生し

0時01分頃、マグニチュード7.2

0時03分頃、マグニチュード7.3

強い揺れの観測は約10分間に及んだとの事です。

ちなみにマグニチュードとは地震の発するエネルギーの大きさで、震度とは実際の揺れの大きさです。

約190万人が被災したといわれ、地震による死者、行方不明者は10万5,000人余りに及びました。

関東大震災は、地震により発生した火災による被害が甚大だったという特徴があります。

建物の倒壊による犠牲者よりも火災による犠牲者が圧倒的に多く、全体の約9割が火災による被害者と言われています。

これは地震が発生した時間がちょうどお昼時だった為に、かまどなどで火を使ってる家庭が多かった事が要因のひとつです。

さらに日本海側を台風が通過した影響で当日の関東地方は風が強く、火災旋風と呼ばれる火の竜巻のようなものが各地で発生しました。

火災件数は東京で136件、神奈川で290件。

特に被害が大きかったのが東京の下町で、横網町にあった旧陸軍被服廠跡に避難していた人達を火災旋風が襲い、約4万人の犠牲者を出しました。避難民たちが燃えやすい家財道具を持っていた事も被害を大きくさせた要因とされています。

横浜公園でも同じような状況になりましたが、こちらは避難民たちがほぼ手ぶらだった事や、水道管が破裂し水溜まりが出来ていたなどの偶然も重なり、犠牲者は旧陸軍被服廠跡の半分以下でした。

ちなみに季節と火災が重なり、9月2日未明には最高気温46.4度を観測したのだとか。

ちなみに東日本大震災では甚大な被害をもたらした津波は、関東大震災でも発生しています。

地理的に千葉県の館山や神奈川県で波の高さ約9メートルに達し、こちらも多数の犠牲者を出しています。

戒厳令 発令

関東大震災により東京の江戸時代から残る建物や、近代化によるハイカラな洋風建築もその多くが焼失。帝都の機能も一時的に麻痺し、地震発生の翌日には戒厳令が敷かれています。

一時は首都の遷都が計画されたほどの甚大なる被害状況の中、27日には後藤新平を総裁とする帝都復興院が設置され、帝都の復興が目指されます。

しかしここからの復興が区画整理や道路の拡張、また山の手の発展など、皮肉にも現在の東京の礎となるのです。

そして震災直後の混乱の中、幾つかの痛ましい事件も起こりました。

9月3日、亀戸事件。これは亀戸町(現在の江東区亀戸)にて社会主義者10名が亀戸警察署に捕らえられ、後に習志野騎兵第13連隊に殺害されたという事件です。しかしながらこの事件は、戒厳令が敷かれた中においての適正な対応として処理されています。

ちなみに戒厳令とは有事や災害の非常時の際に、軍部に権限を移行するという法令。要は混乱を抑える為に、ある程度は強引にやって良いですよって事です。

亀戸事件でどれほどの抵抗があったのかは(隠蔽されたのかも含めて)よく分かりませんが、いずれにしても罪に問われる事はなかったとの事です。

9月16日、甘粕事件。これは社会主義思想家の大杉栄と内縁の妻の伊藤野枝、さらに大杉の甥の橘宗一の3名を憲兵隊が捕らえ殺害。

さらに遺体を井戸に遺棄したという事件。

実行犯は軍法会議にかけられましたが、これについても

「社会主義思想家なる連中が組織立って国家転覆を企んでいた」

として、首謀者とされる甘粕正彦に減刑を求める声が上がったり、真犯人は別にいるなどの説も根強くあります。いずれにしても

甘粕正彦は懲役10年→2年10か月

森慶次郎は懲役3年→1年3か月

他3名は無罪となっています。

12月27日、虎の門事件。これは時の皇太子 裕仁親王(後の昭和天皇)に対する暗殺未遂事件です。

極左テロリストの難波大助から、ステッキに仕込んだ散弾銃で狙撃を受けたというものでした。

そんなものが本当にあるんだと少々驚きの、まるで映画のような暗殺方法ですよね。

ただ当然これは失敗に終わっていて、難波は大逆罪で死刑となりました。

日本人による朝鮮狩り

そして悲しいかな混乱の中、朝鮮人に対する虐殺事件も起こっています。

当時はテレビもラジオもなく、唯一の情報源だった新聞も多くの新聞社が焼失。

「混乱に乗じて朝鮮人が犯罪や暴動を起こそうとしている」

というような、人の噂だけが広がっていきます。さらに

「朝鮮人が放火している」

「井戸に毒を入れている」

というような事が、追って新聞でも報じられました。

こういう事が真っ先に噂になるというのが、悲しい事ではありますが日本人が日頃から朝鮮人を差別していた証拠だろうと思います。

ただ国としてはそういう事実はない事をすぐに公表はしています。混乱の中では中々民衆まで浸透しなかったとは思いますが。

こうした情勢の中、各地で自警団が結成され、朝鮮人に対する集団暴行事件が多発しています。さらに一部では朝鮮人に間違われた日本人や中国人も犠牲になりました。

こういった事件による朝鮮人の全体的な被害者数というのは、日本側と朝鮮側で言い分が大きく異なり、実際の所は何とも言えないというのが実情です。

数百人から約六千人余りと差がありますが、当然ながら日本側は少なく見積もるだろうし、朝鮮側としては多く主張します。

しかしながら六千人となると被害者数の水増しが少々激しく、こういった所がいまいち朝鮮人を信用出来ず、また同情も出来ない部分だと、個人的には思ってしまうのです。

とはいえ自警団が暴徒化し、朝鮮人を多数殺害したというのは紛れもない事実。こういう事は繰り返さないようにしなければいけません。

こうした中、世界各国からの義援金や日本の借金により資金を投入し、少しづつ復興が進められていきました。

本稿は試験勉強に役立たないので、学生の方は良ければ以下も参考に

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終わりに

いかがでしたでしょうか?

関東大震災は日本どころか、世界でもまれにみる、大都市を襲った大きな被害を出した災害となりました。自然災害を何かの教訓にするのというのも難しい事ですが、南海トラフ地震が今後30年以内に、70%とかかなりの高確率で発生するともいわれています。日頃から防災意識を高めておきたいものですね。

まあ自然には敵わないと、一切気にしないというのも生き方ですが…

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