大正デモクラシー 大正ロマン わずか15年の開放的な時代

明治~現代

ラ~メチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ~♪って感じで

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44年余り続いた明治時代。明治維新で近代化か進められ、日清、日露戦争で勝利。実質的に最後となった年には幕末以来続いた不平等条約も解消されました。

続いて始まるのが大正時代。いきなり何かが大きく変わるというものでもないですが、大正天皇の親しみやすい性格が反映されたのか、大正時代は割と開放的な時代。大正ロマンと呼ばれる華やかな時代でもありました。

今回はそんな大正時代の流れをざっと取り上げていきます。

大正デモクラシー 大正ロマン

ロマンティックが止まらないぜ!!

それ昭和…

大正時代の特徴

大正時代には女性の社会進出も徐々に進み、洋風なファッションも広がって行きます。喫茶店やレストランも発展し、「オムライス」や「とんかつ」は大正時代に生まれたといわれています。

世紀の大発明ですね。

ちなみにマヨネーズが国内で製造されたのも大正時代後半です。

大正時代を舞台とした作品も多く、ざっと上げても「サクラ大戦」「ハイカラさんが通る」「大正野球娘。」また、大人気の「鬼滅の刃」もそうですよね。

だいぶ個人の興味に偏っておりますが…

伊豆の踊子もそうですね。

大正時代の始まり

大正元年(1,912年)7月20日、明治天皇が崩御。そして大正天皇が即位し、ほんの15年の大正時代が始まります。

9月、乃木希典陸軍大将夫妻が殉死します。この乃木大将は「乃木坂46」の名前の由来ではないですが、その乃木坂の名称の由来となった人です。殉死とは主君などの死を受けての後追い自殺ですから、乃木大将は明治天皇の崩御を受けてという訳です。

日露戦争では旅順攻囲戦を指揮しましたが、1万人以上という多くの部下を犠牲にした事に自責の念を感じていたそうです。

一方、大陸では清が滅亡し中華民国が成立。清の最後の皇帝は映画「ラストエンペラー」で知られる愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)で、のちに日本が強引に成立させた満州国の皇帝としてまた登場します。

ちなみに若干、サッカーの岡田監督にも似ています…

大正2年(1,923年)11月22日、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜が死去。個人的には、保身に走り家臣を見捨てたという印象しかない人。最もそれが皮肉にも明治維新につながり、意図する以外の形で評価されています。趣味に没頭する優雅な老後を過ごしました。

宝塚唄歌隊(現在の宝塚歌劇団)もこの年に誕生し、翌年には初公演を行っています。自分は詳しくないので「ベルサイユのばら」をやらせたら世界一ぐらいの印象しかないですが…

バラはバラは 美しく散る~♪

娯楽やお菓子も

大正3年(1,914年)、AKB48の「エブリディカチューシャ」…じゃなかった、松井須磨子の「カチューシャの唄」という歌謡曲が流行します。こういった大衆芸能が大きく発展していった時代でもあります。

そしてヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発。日本やアメリカも手を貸していますが、これは世界大戦といっても基本的にはヨーロッパの戦争です。

今回は日本の大正時代の話なので割愛します。

そしてこの年に「森永ミルクキャラメル」が発売。これまた反則級の大発明で、現在ではキャラメル自体というよりキャラメル味やキャラメルソースとして発展しています。

さらに大正7年には「森永ミルクチョコレート」も発売されています。

ちなみにチョコもキャラメルもそれ自体は日本で生まれた訳ではなく、また明治にはすでに存在もしていたようです。

大正4年(1,915年)には、現在の甲子園大会の前身となる、第一回全国中学校優勝野球大会が開催。ただ甲子園球場は大正13年に開場なので、この時は大阪府の豊中グラウンドとなります。

決勝は秋田中(現在の秋田高校)×京都二中(現在の鳥羽高校)となり、延長13回サヨナラで京都二中が勝利。初代優勝校となりました。

ちなみに秋田中が惜しくも初代優勝校を逃して以来、現在まで東北地方から甲子園優勝校は出ていません。

そして明治を生き抜いた元新選組の永倉新八と斎藤一が、それぞれこの年の1月と9月に死去しています。

スペインかぜの流行

ちょいと飛んで大正7年(1,918年)8月にはシベリア出兵。これはロシア革命と呼ばれるロシアの内戦にイギリスやフランス、アメリカらと共に日本も介入したものです。

これも本稿では割愛しますが、のちにこの内戦で勝利した社会主義勢力がソビエト連邦を樹立しています。

そして第一次世界大戦はこの年、英仏の連合軍の勝利で終結しています。

この年には米の値段が高騰し、米騒動と呼ばれる江戸時代の打ち壊しのような暴動も起こっています。

そしてコロナのせいでご存じの方も多い、スペインかぜと呼ばれる感染症もこの年に流行。全世界で約5千万人(一説には1億人とも)の死者を出し、完全な終息には約3年かかりました。

しかし皮肉にもスペインかぜの流行によって、第一次世界大戦の終結が早まったともいわれています。徴兵対象の若者が減少してしまったからですね。戦場でも大流行だったそうです。

ちなみにスペインかぜとはいってもスペインは関係ないとの事。

これは戦争に参加していなかったスペインが普通に発表したら、戦争中の他の国も続いて発表したというものです。要は最初に発表しただけというね。

他の国も気づいてはいたけど、戦争中だから敵国に弱みは見せられないと思ったんでしょうね。

武漢肺炎とか武漢ウィルスとかそれは間違いないんだから、中国もそういわれたぐらいで腹立てなさんなよって感じですよね。

とはいえスペインかぜの発祥が何処というのは、ハッキリとは分かってないとの事です。

東京節から関東大震災

大正8年(1,919年)3月、朝鮮半島で三・一運動という独立運動が起こります。

ちょっと日本の支援で栄えてきたらこれだよ。出来もしないクセに独立じゃないんだよな。

そしてこの年にはあの「カルピス」が販売。これも大発明ですね。カルピスの濃さでその家の経済状況が分かるという…

いや初恋の味でしょうが!!

あとこれも歌謡曲っていっていいのかな?「パイノパイノパイ(東京節)」という曲が大流行しています。

ラ~メチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ~♪

はあ⁉

って感じですが、概ね東京の象徴的な建物や名所を紹介していく歌詞となっています。

東京の中枢は 丸の内~♪ 日比谷公園 両議院~♪ 

そして大正12年(1,923年)9月1日、関東大震災が発生。東京と神奈川を中心に10万人以上の犠牲者を出しました。

ああ、東京節で歌われた建物が…

さらに震災直後の混乱の中、亀戸事件や虎の門事件のようなテロ事件も起こりました。

この辺の事はまた別の記事で掘り下げていきたいと思います。

そして大正15年(1,926年)12月25日、元々病弱だった大正天皇が崩御。こうして15年の大正時代が終わりを告げるのでした。

しかしこうした災害からの復興でまた明るい時代を取り戻していければ良かったのですが、徐々に軍部が政府を掌握して、昭和初期の戦争の影が近付く緊張感のある時代へと入っていくのです…

終わりに

いかがでしたでしょうか?

短い大正時代でしたが、その間にも庶民の暮らしぶりは食事や娯楽など、様々なところで変化していきました。まだまだ庶民の暮らしは苦しかったとは思いますが、大正ロマンとかモダンなど、心はより豊かだったのかなと思うと、少々羨ましくもありますね。

ちなみにこういったのはあくまでも都市など一部の話で、都会を離れれば江戸時代とそう変わらない地域もまだ結構あったそうです。

長男じゃなかったら耐えられないなぁ…

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