マッカーサー上陸 GHQの占領政策と東京裁判

明治~現代

GHQとは正式名称を「連合国軍最高司令官総司令部」といって、アメリカのダグラス・マッカーサー陸軍元帥を最高司令官とし、日本で占領政策を行う為にやって来た連合国の機関です。東京裁判(極東国際軍事裁判)では東条英機を始め、7名が死刑の判決を受けています…って感じで

ようこそ当ブログへ

マッカーサーがパイプを銜えながらタラップを降りてくるシーンは、けっこう象徴的で有名ですよね。

日本が戦争に負けてからの約6年余り、一応は間接統治という事で日本は戦勝国、主にアメリカの統治下に置かれました。まあ実質的にはアメリカによる占領ですね。

この間、日本は本当に屈辱的な扱いを受けます。しかしアメリカが意図していたかはともかく、洗脳が効き過ぎた日本人は

「日本が悪い事をした罰だ」

「アメリカが日本を変えてくれる」

として、むしろアメリカを有り難がるようにさえなります。そしてそれは戦後70年以上たった現在まで、緩やかに続いている訳です。

戦争に負けるとはこういうことか。

まさに堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…

日本 降伏文書に調印

太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、敗戦必至の状況に追い込まれた日本は、特攻作戦を行うもアメリカ軍の沖縄上陸を阻止する事は出来ませんでした。沖縄戦では軍人約8万人、民間人約12万人が亡くなったといわれています。

その他、アメリカ軍は日本本土の各地を空襲。そして日本に降伏を促すポツダム宣言を発表します。これを日本が無視した事で

8月6日 広島に原子爆弾投下

さらにその3日後

8月9日 長崎に原子爆弾投下

この2発の原爆投下と協定を破ったソ連の侵攻を受け、ついに日本はポツダム宣言の受諾を決意。降伏し敗戦となります。

そして昭和20年(1,945年)9月2日、日本は正式に降伏文書に調印。これにて第二次世界大戦の終結となりました。

ちなみによく日本の無条件降伏なんていわれますが、そもそもポツダム宣言は13か条の項目からなるものなので、無条件という訳ではないです。おそらく無条件にポツダム宣言を受諾したという事ですかね。

「この項目だけは、なんとか…」

などとは言わないと。

それか日本軍の無条件降伏というのを、日本そのものと捉えたか。けどあくまでも日本軍であって、日本国ではないですよ。

洗脳計画?GHQによる改革

いわゆる進駐軍は主にアメリカ、一部イギリスとその植民地などの関係国で編成されています。

日本は戦勝国による分割統治となる所でしたが、中国では蒋介石の国民党と毛沢東の共産党の内戦が起こり、ソ連は東ヨーロッパの共産化に忙しくなります。その他、アメリカの反対もあり、実質的にはアメリカによる間接統治となりました。

日本がアメリカとイギリス、ソ連と中国により四つに分割される所だったんですよ⁉

これは本当にアメリカ、グッジョブ!!

なにしろ日本という国が無くなる所だったといっても過言ではないですからね。

さて、連合国が進駐を開始すると、GHQは様々な改革を行います。主だった所を上げると、日本軍を解体し日本から武力を奪取。さらに三菱や三井、住友や安田の四大財閥を解体します。

それから農地改革。これはGHQが地主から土地を安く買い上げ、小作人に分配するというもの。これにより地主の搾取から解放されるので、これはまあ農民には有り難い話ですね。

民主化も進められますが、戦前の日本もまだまだ不完全ながら、明治時代の自由民権運動や大正デモクラシーなどの民主化の動きがありました。

なのでべつに民主主義は戦後、アメリカによりもたらされたものという訳ではないです。

そしてWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)という、日本人に戦争の罪悪感を植え付ける計画が実施されます。原爆を落とされたのは仕方がないとかですね。

このWGIPが洗脳かどうかは諸説ありなので深堀はしませんが、アメリカが意図していたかどうかはともかく、いささか日本人には効き過ぎた感はありますね。

さらに内務省が行っていた検閲を廃止しますが、今度はそのGHQによる厳しい検閲が行われます。

ちなみに内務省は官庁の中の官庁といわれるほどの実権を握っていましたが、GHQにより解体されました。

GHQによる検閲ですが、これは日本にプレスコードが出されていたのでそれに対するものです。プレスコードとは言論統制ですね。

これが中々に厳しく、要約すると戦勝国に対する一切の批判を禁止。愛国心を煽るような内容も禁止。発行物や出版物、ラジオ放送にもGHQによる厳しいチェックが入りました。

日々発行される新聞や教科書にも検閲が行われるので、日本としては思うような報道も教育も出来なくなります。国民性も相まってかやがて自虐的になり、日教組などは未だにまともな教科書を作らないという訳です。

昭和23年(1,948年)には、なんと日本語の文字をローマ字表記にするという計画も行われようとしていました。

「日本語は漢字が多く難しいから、読み書きが出来る者は一部に限られる」

「日本は教育が行き届いていないから民主化が出来ないのだ」

として、ローマ字に統一しようというのです。そして日本全国からランダムに選ばれた老若男女、約1万7千人に読み書きテストが実施されました。

しかし漢字の読み書きが出来ない者は2.1%だったという事で、ローマ字化計画は頓挫しました。

馬鹿にすんでねぇッ!!

それからマッカーサーの創案を守った日本国憲法が制定されますが、これが戦後一度も改正されていないという…

マッカーサーもそこまでは想定していなかったと思いますよ。

東京裁判

占領政策の中ではアメリカの主導で日本人の戦犯を裁く極東軍事裁判、通称「東京裁判」が開かれます。日本は確かに負けたけど、善悪というのはまた別問題ですけどね。お前らの戦争犯罪はどうなんだという話ですよ。

とはいえ戦勝国が敗戦国を裁くというのは、まあそういうものでしょう。だから負けてはいけないんですよ。

玉音放送で「耐えがたきを堪え…」と述べた昭和天皇はマッカーサーと会見していますが、じつはマッカーサーはこの天皇との会見は気が進まなかったそうです。

なんでもマッカーサーはこれまでの軍人生活の中で、命乞いや責任逃れをする敗戦国の指導者を幾度も見て来たといいます。どうせ天皇との会談もそういう話を聞かされるだけだろうと。なので天皇がやって来てもイスに座って足を組んだまま、横柄な態度を崩さなかったのです。

しかし昭和天皇は戦争の責任はすべて私にあると。自分一人が処刑される事で日本国民が救われるのなら、どうか私を処刑して欲しいとマッカーサーに訴えるのです。

マッカーサーはこれを受け、昭和天皇に対して最大限の敬意を払いました。

じつはアメリカ本国や国民を始め、戦勝国の多くは天皇の処罰を望んでいましたが、マッカーサーは本国に日本の事情を、日本国民は天皇を支持してまとまっているので、天皇を処罰するとどうなるか分からないなどと説明します。

マッカーサーの提言により天皇は告訴されず、また天皇制も維持されたのだと思われます。天皇一人掌握すればいいので簡単という企みがあったという穿った見方もあるようですが、いずれにせよマッカーサーによって天皇の立場が保障されたという訳です。

ちなみにこの後、昭和天皇は国民を勇気づけたいとして、日本全国を御巡幸されています。アメリカは国民に石でもぶつけられればいいとこれを許可しますが、アメリカの思惑は外れ、どこへ行っても天皇は大歓迎されたといいます。

さて、東京裁判では捕らえられた約100名中28名が告訴。7名が死刑判決を受けています。

  • A級戦犯 平和に対する罪
  • B級戦犯 通常の戦争犯罪
  • C級戦犯 人道に対する罪

これを見ると、A級戦犯だからB級より極悪人という基準でもなさそうです。

しかしこういう戦勝国主導の国際裁判は正当性が問われる場合が多いです。他にも南京軍事法廷では南京戦関連で日本人5名が死刑になっていますし、ハバロフスク裁判では731部隊がらみで12名が裁かれています。ていうか、ソ連はいつまで捕虜を抑留してるんですかって話なんですが…。

東京裁判もひどいもんだったようです。日本は収容されていた捕虜にゴボウを食べさせたのですが、これが木の根を食べさせたとして捕虜に対する迫害。また豆腐を食べさせれば、その漢字を直訳したのか腐った豆を食べさせたとして、これも捕虜に対する迫害との事。ネタですか?

ていうか豆腐はなんで腐った豆って書くのよ⁉

「私は貝になりたい」は創作ですが、このように理不尽な理由で絞首刑なんていうのはいくらでも起こりえる状況だったのです。

ただA級戦犯で死刑となった東條英機は裁判の中で、すべての責任は自分にあり天皇に責任はないと頑なに主張したそうです。

東條英機も色々と誤解されている人物のようですが、どうあれいつまでもA級戦犯扱いして参拝しないなんていうのはそろそろ止めでいいでしょう。

東條英機ら7名は、昭和23年(1,948年)12月23日に刑が執行されています。12月23日は次の天皇となる平成天皇の誕生日。昭和天皇の誕生日ではなく次の天皇の誕生日に刑を執行したのです。長らく日本人にこの事を忘れさせない為のメッセージですかね。

悪趣味な事この上ないね。

サンフランシスコ講和条約の締結

進駐軍が占領していた頃には、進駐軍による暴行や強姦事件が多発しています。まあ当然そうなるよなって感じですが、これも「ギブミーチョコレート」ぐらいしか伝えられてない訳です。

プレスコードは戦勝国の他、朝鮮に対する批判も禁止されています。まあこの際べつにいいんですが、これに勘違いでもしたのか、日本各地で在日朝鮮人が戦勝国ヅラして犯罪をやりたい放題でした。

いうまでもなく朝鮮は戦勝国ではないですよ。

進駐軍もだけど、こういう朝鮮人の横暴にはマッカーサーも

「朝鮮人は自分の国へ帰れ」

と怒ったそうです。

また日本は物資不足が激しかったのですが、戦後一時的にユニセフやアメリカ政府から物資の支給などの支援を受けました。こういった事に助けられたのもまた事実なのです。

最も一部の権力者が独占しせいだとか、政府は資産(金塊)を隠していたなどの話もあります。

そんな折の昭和25年(1,950年)6月25日、朝鮮戦争が勃発。GHQは日本に警察予備隊を組織させますが、これが後の自衛隊に発展していくのです。

このようにマッカーサーは比較的早い段階で日本に再軍備を求めていましたが、洗脳が効き過ぎたのかむしろ日本人の方が難色を示しました。GHQにしても、日本を二度と戦争の出来ない国にしてやろうという企みが裏目に出た格好ですね。

だから未だに軍隊とは呼ばず、あまつさえ自衛隊は違憲などといい出す輩がいるという始末です。謙虚を通り越して自虐過ぎですよ。

昭和と平成を通り越して、もう令和ですよ。

アメリカがどうこういう事より、もう日本人の方に問題があるような気がしてきますよ。

そして昭和26年(1,951年)9月、サンフランシスコ講和条約に調印。翌年に発行されると、これによりGHQは役目を終え解散。在日米軍は残りましたが、日本の主権が回復されるのです。

終わりに

いかがでしたか?

日本は戦争に負けたのだから仕方がないといえば仕方がない。分割統治を免れただけでも良しとしないといけないのかもしれません。しかし日本人の戦争観というのは戦後、GHQによってもたらされたといっても過言ではありません。

そろそろいい加減、日本人の精神を解放してもいいのではないでしょうか。

ちなみにマッカーサーは帰国してから

「日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を私は知りません。また人類の進歩に対して将来、積極的に貢献する事がこれほど大きく期待できる国も他に知りません」

と日本を称賛しています。これはマッカーサーの退役の演説の中で述べられたものです。

老兵は死なず ただ消え去るのみ

コメント