神風特攻隊とは 偉大なる戦果を挙げた体当たり攻撃

明治~現代

神風特別攻撃隊とは大東亜戦争の末期、大日本帝国海軍により編成された特別攻撃隊。特別攻撃とは主に体当たりによる十死零生の作戦の事で、神風特別攻撃隊は戦闘機に爆弾を積んで敵艦隊に突っこみました。

すでに敗戦は覚悟していたが最後に日本人の気概を見せ、少しでも有利な条件で講和を結ぶ為の作戦だったともいわれています。実際に特攻攻撃はアメリカ人に衝撃を与えビビらせました…って感じで

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昭和16年(1,941年)12月8日、日本のマレー作戦と真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争(大東亜戦争)は、序盤こそ日本軍の快進撃が続きましたが、アメリカ軍の対策や日本の物資不足などもあり徐々に劣勢になります。

昭和19年(1,944年)6月15日から始まったサイパン島の戦いで敗北すると、ここをアメリカ軍に占領された為、日本本土への空襲も時間の問題となりました。

そんな情勢の中の10月21日、体当たり攻撃を目的とした神風特別攻撃隊が出陣しました…

特攻作戦を始めた者

神風特別攻撃隊は正式には神風を「しんぷう」と読みましたが、日本の報道やアメリカも「かみかぜ」と報じたので、いつの間にか「かみかぜ」が一般的となりました。

現在では神風特攻隊(かみかぜとっこうたい)の名称がよく知られています。

神風特攻隊はフィリピンのレイテ沖海戦で初めて作戦が実行されています。

発案者は城英一郎(最終階級は海軍少佐)といわれ、その創案を参考にした大西瀧治郎(最終階級は海軍中将)が神風特攻隊の創設者の一人として知られています。

特攻は犬死にとか意味がなかったなどという失礼な意見もあるようですが、何十隻もの敵船艦を沈めていますし、特攻によるアメリカ軍の戦死者は一万人以上です。

諸説ありですが作戦の成功率も概ね10%~20%ぐらいといわれていて、砲撃だって爆撃だって百発百中なんていうのはないですから、これは中々の数字です。

特攻が犬死にで無意味なら、戦争によって亡くなった日本人約310万といわれる方たちは全員が犬死にで、戦争自体も無意味という事になりますね。

とはいえ十死零生、必死必中の作戦なので、日本軍も確実に戦闘機と隊員を失う事になります。

体当たりして死んで来いなんていうのは熟練の戦闘員を冒涜するものだし、こんな作戦にすがるようではたとえそれが起死回生の一手になったとしても、逆転勝利というのは望むべくもなかったのでしょう。

こんな作戦を考えた奴から行けよと思いますが、 何の因果か初めて特攻が決行された10月25日、空母「千代田」が撃沈され、艦長だった特攻発案者の城英一郎も戦死しています。

神風特攻隊の創設者の一人である大西瀧治郎は、日本の降伏後の8月16日、自責の念か責任を取る思いからなのか自決していて、これは介錯なしでの切腹だったそうです。

昔から武士の切腹というのは、作法として腹を切った後に苦しまないよう、介錯人が首を落とすものです。

つまりこれは大西が自らに課す、出来るだけ苦しんで死のうという思いがあったのです。

最も戦で追い込まれて「もはやこれまで」の自決なら、介錯無しは当然ですが。

ちなみに作戦を主導した者の中で、このような責任の取り方をしたのは大西ただ一人だったとの事です。

特攻作戦決行

神風特攻隊の第一号となったのは関行男(最終階級は海軍中佐)。部下に対する指導では鉄拳を振るう事も辞さなかった厳格な男でした。

後につなげる為にも最初の特攻は是が非でも成功させたいという事で、本部から打診され承諾しています。

ただ諸説ありですが、決して喜び勇んで即決という訳ではなかった様子です。

そりゃそうですよね。関さんは最後まで

「天皇陛下とか日本帝国のために行くんじゃない、愛する人のために行くんだ」

などとこぼしていたそうです。

隊員を募る時もあくまでも志願という形で行われていますが、その場で断るなんて同調圧力で無理ですよね。表向きは志願制ですが実質的には命令という訳です。

ちなみに関さんの前に行方不明で未帰還となった事から、久納好孚(くのうこうふ、最終階級は海軍少佐)が特攻第一号という説もあります。この久納さんはかつて関に殴られた事があるらしく、自分が真っ先に指名されなかった事も不服に思っていたそうです。

昭和19年(1,944年)10月21日、レイテ沖海戦で作戦を決行する為に出陣。しかしこの日は悪天候もあり敵艦隊を発見できずに帰還。その後も4回、出陣しては敵艦に遭遇出来ず帰還します。

しかしそうこうしている内に戦争が終われば良いのですが、いつかは決行する事になるのなら、毎回毎回、覚悟し直すのもしんどいですよね。

そして10月25日、5回目の出撃の時、ついに敵艦隊に遭遇。

アメリカの護衛空母セント・ローに突撃し、命と引き換えに撃沈させました。

その他にも空母や駆逐艦に損害を与えていますが、この時は関さんを含む敷島隊5機が特攻を決行したので、誰の機がどのような戦果を挙げたかというのはもう分かりません。

言えるのは5人の隊員の命と5機の戦闘機と引き換えに、アメリカ軍に多大なる被害を与えたという事です。

沖縄での特攻

それからも場所を変え特攻作戦は続けられます。

志願者も色々で、作戦に参加できて心底光栄に思う隊員もいれば、仕方がないと受け入れる隊員もいました。ただ、誰が好き好んで死にに行くかという話ですよね。

特攻隊員は軍神などと崇められましたが、皆さん二十歳前後の若者でした。

昭和20年(1,945年)4月、アメリカ軍の沖縄への上陸を阻止しようと、戦艦大和さえ含めた大規模な特攻作戦が決行されます。

この時の坊ノ岬沖海戦で、戦艦大和は沈没し最期を迎えました。

「男たちの大和」という映画は評価が高いです。

沖縄上陸こそ阻止できませんでしたが、ここでも特攻によりアメリカ軍に多大なる損害を与えています。

しかし作戦の末期にはろくに訓練を受けていない隊員まで動員され、練習機を特攻に使用しているような状況。敵艦に突入する前に海に落ちる事も増えました。

さらにはアメリカ軍の対策もあって撃ち落されるなど、作戦の有効率は当初からするとだいぶ低いものとなっていました。

この戦闘機による特攻作戦は都合100回近く行われていて、日本の降伏による敗戦の直前まで行われています。

さらに、一部では敗戦の直後に決行された例もありました。

また特攻作戦は神風特攻隊の他にも回天などの人間魚雷も存在し、陸軍航空部隊の特攻隊も沖縄戦で出撃しています。

海軍の特攻による死者数は2,531名

陸軍の特攻による死者数は1,417名

神風特攻隊に限らずですが、戦闘機による特攻隊については石原慎太郎脚本総指揮の「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画があります。

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鹿児島県知覧基地の特攻隊員御用達の食堂の女将である鳥濱トメさんや、隊員の世話をする少女隊との交流が描かれている良作です。

題材を同じとしたTVドラマ『なでしこ隊〜少女達だけが見た特攻隊・封印された23日間〜』もあります。こちらはテレビドラマといっても、実際の取材シーンも取り入れたドキュメント的に描かれていました。

以前は夏になるとテレビ各局、こういう終戦記念のスペシャルドラマをやっていたんですが、最近はあまりやらないようになっているみたいです。良い作品も沢山あるので、再放送でもいいから放送して欲しいですね。

終わりに

いかがでしたか?

大戦末期、劣勢に立たされる日本はすでに敗戦必至の状況。ある意味では戦争終結の為、また戦争後の講和会議で有利な条件を引き出す為に特攻作戦は決行されました。しかし大変大きな戦果を挙げた事と、敗戦によって戦争の責任を取りたくない指導者たちの終戦工作は遅れ、一億玉砕として戦争は続けられたのです。

アメリカ軍も勇敢に戦いますが、仮にアメリカで特攻作戦を実行しようとして隊員を募っても、一人の志願者も現れなかっただろうといわれています。

特攻作戦はアメリカ軍の兵士に衝撃を与え、勇敢に戦って死んでいった者たちによって戦後、日本の国体が守られたとする見方もあります。

最も実際にはアメリカの利害関係が大きかっただろうし、美談にする必要もありません。しかし戦争はもう起きてしまったし、それがあっての現在です。

特攻に限らず、また軍人にも限らず、戦争によって亡くなったすべての方たちによって我々は生かされているのだと思いたいです。

そして生き残った方たちも日本の復興に尽力し、生き証人として戦争を伝えて頂きました。

戦争は負けたけど、自分は日本人に生まれて良かった。

ちなみに本稿では神風特攻隊といいながら、陸軍航空隊の特攻も含めて取り上げました。その陸軍航空隊の特攻部隊である振武隊(しんぶたい)に所属し、特攻で散った穴澤利夫(最終階級は陸軍大尉)さんの特攻前に婚約者に宛てた手紙は有名です。

「自分は死ぬけど、あなたには過去にとらわれず未来に生きて欲しい」

というような事が書かれております。

智恵子、会いたい、話したい、無性に。

婚約者の智恵子さんは穴澤さんを思い続け、生涯独身だったそうです…

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