南蛮との関り 信長の功績と黒人武士 弥助

戦国~幕末

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美濃を平定し岐阜と改めた織田信奈。…いや織田信長。一方で1,565年、三好氏らの謀反によって室町幕府第13代将軍・足利義輝が殺害され、信長は逃げ延びた弟「足利義昭」の上洛を手助けする事となります。

しかし世の中、色々な出来事も起こっているようで…

鉄砲とキリスト教の伝来

時は少々遡り1,543年、種子島に一隻の船が漂着してきます。この船には明(中国)の五峯という者が乗っていたので、筆談でのやり取りによって状況が掴めました。そして、この船に乗っていたポルトガル人によって鉄砲が日本に伝来。鉄工技術に優れていたので、足りない材料は輸入に頼りつつ鉄砲の量産にも成功します。

信長はこの鉄砲に注目し、大量に取り入れる事で軍を強化しています。

ちなみにこの時の五峯という人は倭寇だという事ですが、この頃の倭寇は中国人や朝鮮人がほとんどで、もう日本の海賊団とはいえなくなっています。

それから6年後の1,549年には、スペインからキリスト教の宣教師がやって来て、布教活動を行うようになります。

フランシスコ・ザビエルは有名ですよね。教科書にも載ってる、頭のてっぺんがハゲた(剃った)あの人です。

「友達なら当たりまえ~」

なに、古い…だと?

当時、カトリック教は免罪符という札を売り出していたのですが、これは購入すればその罪が軽くなるという、罪人には嬉しい優れもの。しかし「それはおかしい」との声が上がり、プロテスタントという新興勢力が誕生します。

勢いに押され気味のカトリックは、キリスト教がまだ伝わっていないアジアやアフリカなどに進出。こうして宣教師は日本にやって来たという背景がある訳です。

翌年にポルトガルから渡来したルイス・フロイスは信長と深く交流し、その様子を記したフロイスの「日本史」は貴重な資料となっています。

宣教師の多くは日本人をリスペクトしていましたが、一部では日本人を見下す者もいました。長崎などでの横暴な振る舞いは、のちに九州を平定した秀吉に咎められたりもしています。

この時代の世界情勢からすると、支配地域を広げる目的もあったのでしょう。実際に南米はスペインとポルトガルの植民地になってますし。

大航海時代 コロンブス

この頃は大航海時代ともいわれ、ヨーロッパの先進国により新大陸が発見。開拓もされていきます。先住民からしたら堪らん事だけど、悲しいかなそんな歴史の上に現代があるのです。

少々前の話になりますが、1,492年にはしゃかりきコロンブスがアメリカ大陸を発見。のちに開拓していく際には先住民を大量虐殺しています。

まあ、しゃかりきコロンブスって言いたかっただけなんだけど…

パラダイス銀河!!

ついでっちゃあなんですが、コロンブスの卵ってあるじゃないですか。自身の成功を妬む人達にコロンブスが

「机にこの卵を立ててみて下さい」

というがそこにいた人は誰も出来ない。そこでコロンブスが卵を少し潰しながら立てて見せます。

「そんなものなら誰でも出来るじゃないか」

ブーイングが起こりますが、コロンブスは

「人がやった後ならばそうでしょう」

と返したのだとか。

まあ、しゃかりきよりも発想力が大切ですよという話ですが、これは房州さんも哲也に見せてましたよね。

行くぜ、房州さん!

って分かる人そんなにいないか…

黒人武士 弥助

話を戻して、この頃スペインやポルトガルとの間で行われた貿易は「南蛮貿易」といわれ、信長もその珍しい品に大変興味を持ったそうです。特に地球儀により世界に関心を持ち、貿易により利益を上げる事にもなりました。

他にも輸入品の中にはタバコやカルタ、カステラや金平糖もルーツは南蛮菓子との事です。

しかしおそらく信長が最も興味を持ったのは、宣教師が連れていた黒人です。なんでも宣教師が用意した献上品を

「それはいらないからあの者をくれぬか?」

と頼んだそうです。そして城に残った黒人を家臣と共に囲み、肌を手ぬぐいで擦っては、色が落ちない事に驚きはしゃいだといいます。

身体能力も高く、相撲を取らせれば家臣が束になっても敵わず、その様子を民衆に見物させては見物料を取ったりもしたそうです。

ちなみに安土城が完成した時も、見学料を取って信長自身が案内したといわれています。中々に商魂たくましいというかなんというか。

そうはいっても信長は、奴隷どころかその黒人に「弥助」と名付けて家臣に取り立てています。弥助に対する信長の評価は高く、ゆくゆくは城まで与えるつもりだったのだといいます。

弥助は信長の最後、本能寺の変まで行動を共にしていますが、その後の行方は分からないんですよね。一度は捕らえられるも明智光秀によって解放されたという説もあります。

信長と行動を共にしていたのは1年ちょっとのようですが、宣教師の奴隷から武士になったのは、弥助にとってもきっといい思い出になったのでしょう。信長にも人種差別などという概念すらなかったのかもしれません。

楽市楽座と兵農分離

他には楽市楽座という、組合を廃止して場所代さえ払えば誰でも商売が出来るという制度も確立。関所も廃止して通行料もなくします。もちろん税収は下がりますが、それにより人が集まって城下町は発展していく事に。結果的に財政も潤うという素晴らしい政策でした。

戦に関しても兵農分離という革新的な政策を行っています。これは戦う兵と農民を完全に分けるというものです。

この時代は戦になれば多くの農民が参加しています。そうすると作物の収穫期は忙しいから農民は戦に参加出来ない訳です。

強制したら年貢が取れなくなって困りますし、少ない兵では戦も出来ません。

なので収穫期などは戦はしなかったのですが、兵農分離により信長軍は1年中いつでも戦えるようになります。農業との兼業よりも兵の意識も高まりました。

収穫期は戦はしないのが暗黙の了解だったのだとしたら、他からしたら「そりゃないぜ」って感じですけどね。

「え、今来る⁉」みたいな。

こうして信長は戦い専門の兵や鉄砲隊を組織する事で、数々の戦を勝ち抜いていくのです…

終わりに

いかがでしたでしょうか?

黒人武士の弥助はけっこう有名ですが、初めて知った時は衝撃でした。ただの怖い人ではなく、古いものを壊して合理的な政策も行っていたのが分かりますよね。

ちなみに森蘭丸君とのムフフな関係は…

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