天下泰平 徳川綱吉 生類憐みの令

戦国~幕末

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江戸幕府一番のダメ将軍で知られる徳川綱吉…って感じで嫌な知られ方ですが、その理由はやっぱり歴史に残る珍政策「生類憐みの令」による所が大きいのでしょう。

でも動物を可愛がるのはいい事ですが…、綱吉とはどんな人だったのでしょうか。この時代に起こった事なども含め取り上げていきます。

しかし生類憐みの令なんて、現在では言われるまでもないわ!って感じですけどね。ただ破った者は極刑。人間には優しくないっていうね…

第4代将軍家綱

戦国の世も終わり、3代将軍家光が「伊達の親父殿」と慕った伊達政宗も1,636年に死去。その家光も1,651年に亡くなり、将軍職は長男の家綱に引き継がれます。家綱はこの時11歳でしたが、側近たちに支えられ成長し、家綱の時代の政策はやがて文治政治といわれ評価されます。これは武力より学問に重きを置くというものでした。

この頃は江戸幕府が開かれてから数々の大名の取り潰しにより、街中に浪人が溢れるようになっていました。この時代の浪人とは仕える主君を無くし職にあぶれた武士の事です。

軍学塾を開いていた由井正雪はそんな浪人たちを集めて謀反を起こそうと計画しますが、事前に情報が洩れてしまい計画は実行されませんでした。正雪は自害しましたが、幕府はまたこういう事が起きないように大名の取り潰しは控えられ、浪人たちにも職を与えていきます。

先住民アイヌ

1,669年には蝦夷で首長シャクシャインを中心にアイヌの反乱が起こります。

現在の北海道は当時「蝦夷(えぞ)」と呼ばれ、アイヌの人達が暮らしていましたが、幕府は蝦夷の南に松前藩を構え、アイヌの人々と貿易をしていました。しかしこれがアイヌにとっては大分不平等なものだったので、堪りかねたアイヌによる反乱が起こるのです。

松前藩はアイヌに和睦を持ち掛けますが、和議に応じようと現れたシャクシャインを宴の席で殺害しました。卑劣なやり方ですが、指導者を失ったアイヌの人々はやがて日本に同化していく事になります。

同じような事は大和朝廷による東北の蝦夷(エミシ)討伐もあり、アテルイという英雄も打ち首になりました。

世界史でも先住民の土地を侵略するというのは非常によくある事で、現在では世界一の超大国であるアメリカだってそうです。そういう歴史のもとに今があるというのは知っておきたい事実です。

ただ蝦夷に関していえば、それがなかったとしてもロシアの南下政策によりアイヌが独立を保てたかどうかは分からないんですけどね。

またこの頃には五街道も完成し、街道には宿場も設けられ、宿場町として栄えました。

家綱は1,680年に40歳で死去。味噌汁に髪が入っていても、むしろその事で誰かが咎められる事を気にするような優しい将軍でした。

第5代将軍綱吉

家綱には息子がいなかったので、弟の綱吉が第5代将軍となりました。なので本来なら綱吉は将軍になる立場ではなかった訳です。この時大老の酒井忠清は皇族から人を連れて来て将軍に立てようと企んでいましたが、その事が理由で酒井は将軍となった綱吉から失脚させられています。

綱吉は譜代大名だからと驕る者は失脚させ、外様でも能力のある者は取り立てるという方針でした。儒教の心得があって、綱吉の前半の政治は天和の治といわれ評価されてます。綱吉さんもこの辺りまではいいんですよね。

綱吉は息子を早くに亡くしているのですが、その後は男子も生まれませんでした。その事を隆光という僧正に相談した所「前世で殺生をしたからその罪滅ぼしに動物を大事にするとよい」といわれます。さらに綱吉は戌年なので、「犬を特に大事になされたらよい」との事を言われました。

この辺の話は史実かどうかは怪しいのですが、いずれにしても1,687年、悪評で名高いあの「生類憐みの令」が発令されました。

生類憐みの令

実際に処罰され極刑になった者も出て、江戸の人達は犬を飼う事を恐れ、町には捨て犬が溢れます。

その野良犬を収容する為に四谷と中野、大久保に小屋が作られ、収容された犬の数は約48,700匹にもなったのだとか。

そんな事もあって江戸の民から綱吉は「犬公方」と陰で揶揄されました。水戸黄門でお馴染み水戸光圀公からは犬の毛皮が贈られたそうです(嫌味)。

う~む…

しかしこの頃は様々な文化も生まれ、それらは元禄文化と呼ばれ評価されています。

主に町人が中心になっていて、歌舞伎が盛んになり、数々の小説が出版され、浮世絵なども庶民の間に広まっていきます。菱川師宣の「見返り美人」は切手にもなって有名です。

それまでは短歌のおまけぐらいのものだった俳句も、松尾芭蕉によって芸術の域にまで高められました。その芭蕉の東北を旅した紀行文「おくのほそ道」も有名です。

「夏草や兵どもが夢の跡」

一方で1,695年辺りからは飢饉や地震、噴火といった数々の自然災害が各地で起こります。この辺も綱吉の評価を下げる要因となってます。

これは東日本大震災の時の民主党政権とか、現代でも似たような事があって理解しやすい所です。

もっともそういった実際の対応策のお粗末さもさることながら、この時代は指導者の徳が足りないから天罰が下ったみたいに思われてもいました。

そんな折、江戸城では赤穂城主浅野長矩による斬り付け事件が起こるのです…

終わりに

いかがでしたでしょうか?

綱吉の思惑はともかく、現在では動物愛護の精神は当然のものとなっていますので、それに伴ってか綱吉の評価も変わりつつあるようです。儒教に基づいての事とか、武士による無駄な殺生も無くす目的があったという説もあります。

生類憐みの令は犬や猫だけではなく、赤子や捨て子、病人にまで及んでいました。なんとなく道徳が詰まっているようにも感じますよね。

ちなみに最近、なんか動物動画の番組増えましたが、よく動物にセリフ当てたりしています。「うまいワン」とか「なんニャー」と来て「そうだゾウ」…って、いやその流れならそこはパオーンだろって!!

「ん~、そうカニ?」

え、カニ⁉

ブクブク…?

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