日清戦争のきっかけ 混乱の朝鮮情勢 甲午農民戦争

明治~現代

甲午農民戦争とは簡単にいうと、朝鮮国内で起こった農民を中心とした民衆の反乱です…って感じで

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一連の政治改革である明治維新も終わり、近代化の歩みを進めた日本。その中では朝鮮との小競り合いや、琉球王国の日本帰属を清に認めさせるといった周辺国との関りもありました。

そんな折の明治27年(1994年)、日清戦争が勃発。

日清戦争はアジアの覇権を争うと共に、朝鮮を巡る戦いでもありました。当時の日本からすれば国防上、地理的に朝鮮半島に影響力を持つ事は重要だった訳です。

そんな朝鮮の国内情勢との関りがあって、後の日清戦争に発展していくのです…

朝鮮国内の情勢

1882年7月、朝鮮で壬午事変(壬午軍乱)というクーデターが起こります。当時の朝鮮は、国王の高宗の実父である大院君(だいいんくん)が親清派、国王の妃の閔妃(びんひ)が親日派で、この二人が権力争いをしているという状態でした。

そして当時実権を握っていた閔妃政権に対し、大院君が反乱を起こしたのが壬午事変です。

ざっくりいうとこれは一旦は成功しましたが、肝心の閔妃は取り逃がしました。一方、なんとか逃亡した閔妃は清の駐屯地に逃げ込みます。そして清の協力を得て大院君のクーデターを鎮圧。閔妃に政権が戻りました。

しかし自分の父親と嫁が武力を率いて争うという、国王の心境ですよ…

いずれにしてもこういう事から、閔妃も親日派から親清派に変わっていきます。 

そして1,884年12月には甲申事変(甲申政変)が起こります。これは日本の支援を受け朝鮮の近代化を目指す、金玉均や朴泳考ら「独立党」が起こしたクーデターです。

ちなみに金玉均は、きん〇まじゃなくきんぎょくきんです。

いやそこ重要…?

独立党はすでに親清派の閔妃政権を「事大党」と呼び、日本の協力を受けクーデターを起こします。ただこれは最終的に清により鎮圧されました。

そして日本は1,885年1月に朝鮮と漢城条約、4月に清と天津条約を結びます。

漢城条約は、賠償金と日本公使館の建設を朝鮮側が負担するというもの。

天津条約は日本と清、共に朝鮮からの兵の撤収。また再び出兵の際は互いに事前通告するという事が定められました。

この時点で朝鮮が清の属国である事は変わらないので、日本は朝鮮に対する主権を清から奪う事には失敗するのでした。

甲午農民戦争

こうして一旦は落ち着いた朝鮮でしたが、1894年3月、甲午農民戦争(東学党の乱)といわれる農民を中心とする民衆の反乱が起こります。

これは朝鮮の支配体制に対し民衆が武装蜂起したもので、政権ではこの反乱を治める事が出来ず、閔妃は清に援軍を依頼します。

清はこれに応じ援軍を送りますが、天津条約に基づき日本に事前通告を行います。

清、色々と律儀…、さすがは儒教の国。共産党とは違うな。

その知らせを受けた日本も朝鮮に出兵します。かつて壬午事変の時は日本公使館も襲撃を受けて日本人も犠牲になっているので、もちろんそういった自国民を守るという意味もありましたが

「清だけに良い格好させるか」

どちらかというと日本側の出兵の理由はそんな感じでしょう。要は朝鮮における清の影響力を弱め、延いては日本の影響力を強めるチャンスという訳です。

「朝鮮なんかほっとけよ、関わらないのが一番だよ」

本当に現代の日本人からすればそう思う所ですが、当時のヨーロッパ諸国は帝国主義が主流です。領土を拡大して国力を示そうという白人の国が、有色人種の国をほとんど植民地支配していった訳です。

朝鮮が強い独立国だったらまだいいけど、清の属国でその清もヨーロッパには歯が立たないという状況。しかもロシアが朝鮮も狙っていた訳ですし、そうなったら次は日本という事にもなりかねない懸念もありました。

そんな訳で当時の日本としては、朝鮮の事なんかどうでもいいとはいかない事情があったという感じです。

日本軍のクーデター

ところで東学党の乱は、閔妃政権が早急に鎮めるように努めた事で治まりを見せます。

けっきょく朝鮮まで来てやる事がなくなってしまった日本と清の両軍。朝鮮は清と日本に軍の撤収を求めましたが、何の成果も上げないで帰れない日本。

「朝鮮の独立を妨げる清は撤退せよ

と清に要求します。

清がそれを無視したので日本軍はクーデターを起こし王宮を占拠します。

国王の高宗を支配下に置き、かつては親清派で壬午事変で追われた大院君を担ぎ出し、強引に親日の新政権を樹立させました。さらにその新政府に日本軍に対し清軍の討伐を依頼させます。

それを大義名分として日本は清と戦う事を決定。

こうして日清戦争が始まっていくのです…

終わりに

いかがでしたでしょうか?

日本にも事情がありましたが、なんといっても世界の情勢と無関係ではいられないという事で、日本は清から朝鮮を切り離し、朝鮮に対する優位性を求めました。

清にしてもアヘン戦争ではイギリスに散々な目に合っています。そもそもアヘンなんていう麻薬を偽って売り付けておいて、清が拒否したら武力行使。イギリスは圧倒的な軍事力で清を屈服させ、領土も割譲させているのです。

当時はそんな事がまかり通っていた時代でもあったのです。

しかし現在の香港情勢からすると、中々に複雑ですけど…

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