第一次世界大戦とは 日本の参戦状況 好景気と躍進

明治~現代

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日本は明治時代に日清戦争日露戦争という大きな戦争を経験しましたが、こういった戦争はもちろんヨーロッパでも行われてきました。そしてフランスとドイツの対立やサラエボ事件をキッカケとして第一次世界大戦が勃発。やがて泥沼化していく大きな戦争へと突入するのです。

ただ世界を巻き込んではいくものの、第一次世界大戦は基本的にはヨーロッパの戦争。それだけに日本人にはイマイチなじみが薄い訳です。でも日本も一応この戦争に参加していますし、当事国のヨーロッパ諸国がボロボロの状態の中、日本は未曽有の好景気に沸いたりもしています。

ちょっと暗いから札束に火を灯そうか…

ふ、ふざけるんじゃねぇ!! by 英仏独

第一次世界大戦 きっかけ

日本の動きの前に、まずは第一次世界大戦に至る経緯からです。

時は19世紀後半、ヨーロッパでは徐々にドイツが力を付けていました。

当時ドイツはいくつかの地方に分かれていましたが、その中のプロシアという地域のビスマルク首相が北ドイツ連邦を樹立。さらにフランスとの戦争に勝利し、南側も取り込みドイツの統一を果たします。

ヴィルヘルム1世がドイツ帝国皇帝となり、ビスマルクが首相に就任しました。

産業革命から重工業を発展させ経済も強化。勢力を拡大していきます。

1,882年にはオーストリア、イタリアと三国同盟を結びます。

ドイツとしてはフランスのリベンジアタックを警戒し、これまた警戒していたロシアと1,887年6月、再保障条約という密約を交わします。

こうして外交面でもうまくやっていたドイツでしたが1,888年6月、ヴィルヘルム2世が皇帝の座に就くと一変します。

若き皇帝からしたら、英雄といえどもビスマルクなど目の上のたんこぶぐらいのもの。さらにパン=ゲルマン主義という民族主義を掲げ民衆を煽ります。

そして1,890年、ロシアとの再保障条約を破棄。バルカン半島やアジアにも勢力を拡大していきます。

この動きに警戒したのはイギリスとロシア。まずこれを受けたフランスがロシアに接近。1,891年から交渉を開始し、1,894年1月に仏露同盟が結ばれます。

一方、清でのロシアの動きを警戒し1,902年1月に日英同盟を結んでいたイギリスは、日露戦争での日本の勝利を受けるといったんロシアへの警戒を緩め、今度はドイツを警戒します。

1,904年に英仏協商、1,907年には英露協商を締結し、ドイツに対抗できる体制を整えていきます。

そんな折の1,914年6月28日、サラエボ事件が起こります。

これは当時オーストリアが占領していたボスニアヘルツェゴビナを訪れた皇太子夫妻が、ボスニア系セルビア人の青年に暗殺されたという事件。

これが国際問題となり7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告。ここに第一次世界大戦が始まる事となります。

まず同盟国のドイツがオーストリアを支持。ドイツ憎しのフランスとロシアがセルビア側につくと、この二国に対しドイツが宣戦布告します。

さらにドイツはベルギーに対し、フランスへ進軍する為に通行権を要求。しかしベルギーは中立を保つとこれを拒否。これを受けてドイツはベルギーにも宣戦布告します。こうして最終的には

ドイツ オーストリア ブルガリア オスマン帝国VSイギリス フランス ロシア セルビア

といった図式となり、イギリスが参戦した事で同盟国の日本も助太刀。さらにイギリスから独立したオーストラリアも参戦します。

ちなみにドイツと同盟を結んでいたはずのイタリアは、ドイツを裏切ってイギリスらに寝返っています。

開戦 そして日本参戦

8月に入るとオーストリアがセルビアに侵攻。いよいよ武力衝突が始まります。

この頃の日本は大正3年。少しづつ開放的な時代を歩み始めていました。

明治時代、日本が先進諸国に追い付こうと近代化を進めていた中、当然ながら先進諸国もどんどん発展していく訳です。第一次世界大戦では、さらなる近代兵器が使用されています。

1,903年、ライト兄弟が世界で初の有人飛行に成功して以来、航空技術も徐々に進化。第一次世界大戦でも開発された飛行機が軍事利用されています。

そして毒ガスなどの化学兵器も使用されていますが、これは現在では化学兵器禁止条約で制限されています。

さて、ようやく日本の動きとなります。

じつは日英同盟を結んではいても、第一次世界大戦には日本の参戦義務というのはありませんでした。

そこで日本も初めは中立を宣言。イギリスとしても日本の勢力拡大を懸念し、日本に対する協力要請というのには複雑な思いがありました。ざっとした流れは

イギリスからの協力要請を受けて検討。参戦決定。

イギリスが要請取り消し。それに対し日本不愉快。

日本が領土的野心はない事を告げるとイギリス快諾。

日本がドイツに対しての宣戦布告まで一週間ほどの猶予を与える

ドイツ無視

けっきょく日本はドイツに対して宣戦布告。イギリスに助太刀する形で第一次世界大戦に参加する事となりました。日本としては義理立てというのもあったとは思いますが、中国におけるドイツの利権をかすめ取ってやろうぐらいは考えていたのではないですかね。

1,914年10月、日本はイギリスと共に、中国におけるドイツの縄張りだった青島(チンタオ)を攻めます。ここを一週間程度で攻略すると、続き南洋諸島を占領。さらに日本海軍はインド洋や太平洋の警備も行いました。一方で陸軍の欧州派遣は頑なに断っています。

日本の参戦状況はいったんそんな感じですが、戦場となったヨーロッパでは戦いが長期化の泥沼化をしていくのです。

ロシアとオスマン帝国の混乱

ロシアでは日露戦争の頃からすでに革命運動が起こっていて、この頃には徐々に激化していました。国民の暮らしが厳しくなったり貧富の差が激しくなると、国の統制のもとでの平等をうたった社会主義が叫ばれたりする訳です。

ドイツはレーニンという革命家を支持し

「ロシアで革命やっちゃいなよ」

って感じで支援します。

やがてロシアは内戦状態となり、ドイツと戦争どころではなくなって第一次世界大戦から離脱。ドイツは敵側の戦力を削る事に成功します。

一方でイギリスとフランスの連合国側も策を講じます。オスマン帝国内のアラブ人独立の動きに介入し

「戦争に勝利した後、アラブ人を独立させる」

と約束。独立を煽りオスマン帝国内を混乱させました。

そしていよいよ連合国とドイツの一騎打ちの様相を呈していきます。

アメリカ参戦 そして終結

そんな中、ドイツ潜水艦の魚雷により、イギリスのルスタニア号が撃沈するという事件が起こります。ドイツにとってまずかったのは、この船に乗船していたアメリカ人128名が犠牲になった事です。

これを受け1,917年4月6日、ついにアメリカがドイツに宣戦布告します。すでにボロボロの第一次世界大戦の当事国に対し、元気いっぱいのアメリカ。

これにより戦局は一気に連合国側へ傾きます。

一方で1,918年8月、日本はロシア革命というロシアの内戦にイギリスやフランス、アメリカらと共に介入します(シベリア出兵)。

そして1,918年11月11日、連合国側の勝利で第一次世界大戦が終結。じつに4年以上に渡り続いた戦いにより、全軍合わせて3000万人以上の死傷者を出した戦いが終わりました。

それとじつはこの頃に流行したスペインかぜという感染症が、戦争終結が早まった要因ではないかとする説もあります。幸か不幸か徴兵対称の若者が減ってしまって、戦争どころじゃなくなったという事でしょうかね。

ロシア革命はその後も続き1,922年12月、社会主義勢力が勝利。ソビエト連邦が成立しています。

ちなみにこのロシア革命は、現在のロシア人の中で支持する人はほとんどいないとの事です。

オスマン帝国の方は敗戦国となり崩壊。領土はイギリスとフランスの植民地となりました。もちろんアラブ人独立の約束も果たされずです…

とはいえ第一次世界大戦の当事国となった国は、どこも経済的に厳しくなり、さほど被害を受けなかった日本とアメリカはヨーロッパに対する輸出で大儲け。戦時中は未曾有の好景気に沸く事となりました。

さらに戦後、新たに設立された国際連盟で日本は常任理事国となり、アメリカやイギリスらと共に五大国に数えられるまでになるのです。

ロシアとオスマン帝国の混乱

いかがでしたでしょうか?

第一次世界大戦とはいっても、実際はヨーロッパでの戦争。利権を巡り争いは起こるものですが、当事国が疲弊していく中、けっきょくは戦争をしなかった国が得をするという訳です。

人類の歴史とは戦争の歴史なんて言われ方もしますが、言い得て妙って感じですよね。

ちなみに今回は日本がそこまで参加してないからこんな感じですが、第二次世界大戦では散々な結果になりますからね…

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