アテルイとは 朝廷の支配に立ちはだかった東北の英雄 

古代~室町

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「泣くようぐいす平安京」でお馴染みの794年。時の桓武天皇によって、奈良から京都に都を遷都。これを平安京と学校で習いましたが、個人的には子供の頃に流行った「平安京エイリアン」というゲームの印象が強いです。

ていうかもうそれしかないぐらいで、平安京に侵入したエイリアンを倒す為に穴を掘って罠を仕掛けて、落ちたら埋めて行くというゲーム。いや平安京エイリアンて…、しかもエイリアンを落とし穴で倒すというね。そんな神ゲーの話もしたいんですが、今回は平安京ではなく東北。

この時代の大和朝廷と蝦夷の戦いのお話です…

大和朝廷と蝦夷

東北地方では伊達政宗や大谷翔平と並ぶ英雄のアテルイ

ん?英雄ですよね?ああ、サンドウィッチマンもって事ね。

700年代中頃、当時すでに畿内を中心に広範囲に渡り支配していた大和朝廷ですが、現在の東北地方などはまだ積極的な統治を行っていなかったんですね。

東北には蝦夷(エミシ)といわれる人達が暮らしていて、「蝦夷」とは髭が濃く毛深いとか、辺境の人みたいな、まあ少々差別的な意味合いがあります。

そんな蝦夷の中には、後に族長の一人として大活躍をする事になる「阿弖流為(アテルイ)」という人がいました。なにやら暴走族のあて字のようですよね。

誕生年が分からないので何とも言えないですが、700年代中頃に生まれていたかは微妙です。いずれにしろ、この頃はまだ蝦夷も大和とそこまで対立する訳ではなく、貿易を行ったりもしていました。

大和朝廷の領土的野心もあり、徐々に東北にも支配の手を広げては行くのですが、この頃はまだ共存していたのです。

そんな折、多賀城周辺で金が発掘されると、その事から朝廷は一気にこの地域の支配を強めて行きます。当然、蝦夷側の反発も強いものになって行きますが、しばらくは「伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)」という蝦夷出身の豪族によって抑えられていました。

しかしその呰麻呂も朝廷内での自身の扱いに不満を募らせ、ついに「やってられっか!」という感じで、人を集めて多賀城内の物資を奪って火を着けます。

780年、これを宝亀の乱といいます。

その後の呰麻呂の行方は分かりませんが、朝廷と蝦夷の対立は決定的なものとなって行きます。

朝廷は788年、征東大将軍に「紀古佐美(きのこさみ)」を任命。翌年、蝦夷討伐の為に約5万の軍を編成し陸奥(現在の福島、宮城、岩手、青森)に向け出陣。同年4月、多賀城に一旦集まりそこから進軍を開始します。

蝦夷の脅威 巣状の戦い

衣川北岸に軍営を敷いた所まではよかったのですが、副将が亡くなったり川の水位が上がったりと、朝廷軍はいくつかのトラブルを抱えてしまいます。そんな現場の苦労など知る由もない桓武天皇は、報告がないことにしびれを切らし、「さっさとせんか」と出撃を促します。

そう言われて仕方のない古佐見は、選抜した約4,000人の精鋭で北進を開始。前方に約300人の蝦夷軍が現れますが退却して行きます。勢いづいた朝廷軍はさらに北上。いくつかの集落を焼き払って進んで行きます。

すると突如、待ち構えたかのように前方に約800人の蝦夷軍が現れます。さらに、慌てた朝廷軍の側方から約400人の蝦夷軍が現れ、退路を塞がれてしまいます。土地勘と地の利を活かした蝦夷軍の作戦が見事に炸裂。

圧倒的に数で勝る朝廷軍は敗走。この戦いで約2,800人の犠牲者を出しました。

阿弖流為と坂上田村麻呂

大敗を喫した大和朝廷ですがそこで引き下がる訳はなく、再び蝦夷を攻める計画を立てます。新たに「大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)」を征夷大将軍(おそらく初代?)に、副将には数々の武功で名高い「坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)」を任命。陸奥国への進軍を開始します。

しかし、またもや蝦夷が立ちはだかりました。

苦戦を強いられる朝廷は794年、今度こそ勝利を確実のものとする為、約10万ともいわれる討伐軍を編成。さすがの蝦夷軍も、これには兵力の差にどうする事も出来ずに敗走。大和朝廷が陸奥国を制圧して行く事になるのです。

この勝利から、実際に指揮を執ったといわれている坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、802年に胆沢城を築城します。

そんな折、約500名の仲間を連れた阿弖流為が副官の母礼(モレ)と共に坂上田村麻呂の前に現れ、降伏を申し出ます。阿弖流為と母礼はその後、一度平安京に連行され朝廷の判断を待つ事になります。

実はこの時、田村麻呂は阿弖流為と母礼の命を助けようと陸奥に帰す事を提言するのですが、その願いは受け入れられず、二人は河内国杜山にて斬首となってしまうのです。田村麻呂からしたら、北斗の拳の

強敵と書いて友と読む

みたいな感情でしょうかね。さぞ無念だったろうと心中痛み入ります。

朝廷はその後も度々進軍しますが、財政難からか蝦夷の直接統治は諦めたようです。元々は朝廷の支配を拒んでいただけだった先住民の蝦夷も、大和に同化していった者、山奥などに逃げ延びた者も含め、民族としてはやがて姿を消していくのです…

現代における阿弖流為

1,994年、坂上田村麻呂が建設に深く関わったとされる清水寺に阿弖流為の石碑が建てられました。2,013年には天文学専用スーパーコンピューターにアテルイの名がつけられ、2,016年にはなんとご当地特撮ヒーローとしてスクリーンに登場。

その他小説やアニメなどの創作物の題材にもなっており、阿弖流為の名は1,200年以上経った現在でも語り継がれているのです。

ちなみに最近も、おおぎやなぎちかさん作の「アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士」という児童文学書を発見しました。

こちらは史実を基にした歴史小説で、資料にない部分を作者の方の感性で創作されています。

江頭大樹さんの挿絵も雰囲気があります。

終わりに

いかがでしたか?

今回は根強い人気を誇る英雄、阿弖流為を取り上げました。開拓者と先住民の戦いは歴史上、世界各地で何度も繰り返されてきました。アメリカだってそうです。そしてだいたい先住民にとっては悲しい結末となるのです。この時代に東北で起こった蝦夷と朝廷の戦いも、その世界の縮図であるともいえますよね。

ちなみに冒頭の平安京エイリアンにつなげるオチは思いつきませんでした…

《軍の人数についてはいくつかの資料を参考にしましたが、諸説あるのとそもそも正確な数字は分かりませんのでご了承下さい。イラストはイメージです。イラストレーターのみなさま有難うございました。》

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