壬生浪士組から新選組へ

戦国~幕末

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幕末といえば、戦国と並んで歴史ファンに限らず人気の時代ですよね。様々な創作物のモチーフにもなっています。人それぞれ思い入れはあると思いますが、浅田次郎さんの「壬生義士伝」から歴史に興味を持った自分には、やっぱり幕末の主役は新選組なんですよね。

しかし、ご存じの通り戊辰戦争で旧幕府軍は敗北しています。そして歴史は勝者によって語られるもの。現在の人気とは裏腹に、新選組も長らく歴史的には評価されていませんでした。

現在ではBLや美少女まで幅広く活躍されてますが…

壬生浪士組結成

時は幕末。尊王攘夷運動が激しくなる中、江戸の試衛館では農家や商人の若者たちが剣術の稽古に汗を流していました。この試衛館は天然理心流という剣術の道場です。

「天然理心流四代目宗家」近藤勇を中心に、ここで学んでいたのは土方歳三沖田総司山南敬助井上源三郎といった後の新選組の中核を成すそうそうたる面々。さらに道場に出入りしていた中には永倉新八藤堂平助原田左之助斎藤一もいました。

この斎藤一は「壬生義士伝」でも準主役級で

「道場剣では人は斬れん」

という名言がかっこいいんですが、「るろうに剣心」の印象も強いですよね。

「悪即斬」や必殺技の「牙突」は、少年の心を熱くさせるものでした。

まあそれはともかく、なんか東の試衛館、西の松下村塾といった感じですよね。長州の松下村塾では討幕派の高杉晋作や久坂玄瑞、桂小五郎(この人は塾生というか弟子)、伊藤博文といった維新志士が育っていました。

この天然理心流というのは、当時有名だった北辰一刀流や神道無念流などと比べると新しい流派で、さほど知られている訳でもない泥臭い田舎剣術と思われていたようです。

しかし実戦を想定した剣術で、実際の戦いではめっぽう強かったのは後の世の人達の知る所となっています。

そんな折の文久3年(1,863年)、将軍家茂の上洛の警護の為、清河八郎により浪士組を結成すべく募集がかけられました。自分たちの剣術で一旗揚げたい試衛館の面々には渡りに船。ここぞとばかりに参加します。この浪士組が後の壬生浪士組、やがては新選組となるのです。

浪士組を率いて京都についた清河八郎はじつは尊王攘夷論者で、この浪士組を江戸に戻し倒幕に利用すべく話を持ち掛けます。それに反対し京都に残ったのは近藤勇や水戸藩出身の芹沢鴨ら24名(諸説あり)で、浪士によって浪士を制すとして壬生浪士組が結成されるのです。

ちなみに清河八郎は江戸に戻ってすぐに、幕府の刺客によって殺害されています。

八月十八日の政変

この頃の京都は維新志士らの尊王攘夷運動で治安が悪化していました。浪士の集まりである壬生浪士組は、京都守護職「松平容保」のもと、会津藩預かりとなって京都の治安維持活動を始める事となります。

ちなみにこの浪士というのは浪人とも呼ばれ、時代によって少々実態は変わります。

現在では受験に失敗し、次を目指し勉学に励む者を浪人と呼んだりしますね。

江戸時代初期だと、仕える主君を無くし職にあぶれた武士。幕末だと身分制度が確立されているので、ここでは武士以外の名字帯刀を許される(または勝手に)程度の身分で腕に覚えのある者、という感じですか。

とはいえそれが全てではなく、脱藩したり自ら武士の身分を捨てた者も浪人ですね。

そんな壬生浪士組の収入は少なく、商店などに対する芹沢鴨の一派による「ゆすり」や「たかり」が行われます。

断れば乱暴を働き店を焼き払ったりもしていたので、京都の住民からは「壬生狼(みぶろ)」と呼ばれて嫌われてしまうのです。さらに、ぼろを着ているその身なりから壬生狼をもじって「みぼろ」とも呼ばれ蔑まれたのだとか。

しかし動乱の京都においては、そんな壬生浪士組にも活躍の場が訪れます。

時の孝明天皇は攘夷派で、その為には幕府の力が必要と考える佐幕派。この頃そんな天皇と幕府の間で公武合体が進められていました。

これは朝廷の権威と幕府の武力を融合させようというもの。そこで加熱する尊王攘夷運動の中心だった長州藩と、それを支持する三条実美ら尊王攘夷派の公家を京都から追放します。

これを「八月十八日の政変」といって会津藩と薩摩藩が中心となり行われましたが、これには壬生浪士組も参加しています。そしてこの時の働きが認められて、新たに新選組という名を与えられるのです。

ちなみに新選組の選の字は撰でもどちらでもいいのですが、現在では新選組の表記が主流みたいですね。

芹沢鴨の暗殺

新選組は近藤勇の試衛館派と、芹沢鴨の水戸派の2大派閥体制となっていました。しかし志の高い近藤の試衛館派は、京都で嫌われる原因となった芹沢一派の狼藉を疎んでいました。そして試衛館の面々により芹沢一派の暗殺が計画されるのです。

9月16日(18日説も)大雨の降る夜中、複数の男が八木邸の芹沢の寝室に乗り込みます。斬り付けられた芹沢は飛び起きて抵抗を試みますが、慌ててつまずいた所を滅多斬りにされました。

芹沢も寝込みを襲われてはどうする事も出来ず、一緒に寝ていた愛妾のお梅と芹沢派の平山五郎と共に殺害されました。

この暗殺を実行したのは土方歳三と沖田総司、原田左之助、藤堂平助らといわれています。しかし彼らもこの頃はまだ経験が浅く、豪傑の芹沢を恐れ動かなくなった後も必死になって斬り付けたのだとか。

土方だけは落ち着いていたとの説もあります。

ここから近藤勇を局長とする新しい体制が出来上がり、副長に土方歳三、また局中法度(軍中法度)などの決まり事も整備されていきます。

そして新選組はその強さにより、やがて京都に潜伏する維新志士たちを震え上がらせる事になるのです…

終わりに

いかがでしたか?

新選組は腕と志さえあれば、身分の上下を問わず誰でも入隊し活躍する事が出来ました。しかし同時に士道不覚悟や私闘禁止などの規律があり、破ったものは切腹や斬首、時に粛清などにより厳しく統制されています。こういう所も強さの秘訣なんでしょうね。稽古も厳しかったようです。

ちなみにTVドラマ版の壬生義士伝では、井上源三郎の役を原作者の浅田次郎さんが演じています。ちょっとした遊び心ですね。

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