最後の将軍 徳川慶喜 大政奉還から王政復古の大号令

戦国~幕末

大政奉還とは幕府が政権を朝廷に返上した事で、王政復古の大号令とはさらに幕府の廃止。また京都守護職及び所司代の廃止、摂政・関白の廃止及び総裁、議定、参与の三職を置く新体制の樹立。けど本稿では幕府の廃止だけです…

ようこそ当ブログへ

思えば鎌倉幕府が開かれてから色々ありましたけど、幕府の権力が高まるのと比例して朝廷の力はどんどん弱まっていきましたよね。あれほど「○○天皇」とか「後○○上皇」とか出て来てたのに…。

しかし幕末の動乱の中において朝廷待望論が沸き起こり、再び表舞台に出てきます。同時に260年余り続いた江戸幕府の終わりがいよいよ近づいていました。

「ラストサムライ」「ラストエンペラー」「ラストオブモヒカン」

ラストってだけでなんか名作感が漂うな…

幕府 長州 それぞれの動き

慶応2年(1,866年)7月、第二次長州征伐の最中、大坂城で第14代将軍家茂が死去。散々渋りながらも慶応2年(1,867年)12月、徳川慶喜が満を持して第15代将軍となります。

開国論者の慶喜は、フランス公使・ロッシュの支援を受けながら、軍政などを強化していきます。幕府体制の維持には薩長に負けない力が必要という訳です。

ちなみにこの慶喜は「神君家康公以来の英傑」といわれて期待され、薩長にも警戒されていました。しかし、ただでさえ権威も失墜した幕府においての将軍就任。さらには就任してすぐに佐幕派の孝明天皇が崩御されるなど、少々時すでに遅しの感が否めませんでした。

そもそも過大評価という話もありますが…

そんな折、長州征伐の時は幕府軍を苦しめた高杉晋作が、肺結核により

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

と、この世を去りました。これにより長州藩は桂小五郎や伊藤博文らが中心となっていきます。

この桂小五郎は「逃げの小五郎」と呼ばれ笑われながらも、藩の為に生き残りこうして中心人物となっています。

伊藤博文は初代内閣総理大臣で知られていますが、昭和の人にはむしろ千円札の人で有名ですよね。

坂本龍馬 船中八策

その頃、薩長同盟の成立に尽力した坂本龍馬は、兵庫へ向かう船上で後藤象二郎にこれからの日本についての考えを話しています。

  1. 政権を朝廷に返上する事
  2. 上院下院の議会を作り政治を公の場で行う事
  3. 人材を広く求める事
  4. 外国との交易は公平な条約を結ぶ事
  5. 新しい憲法を作る事
  6. 海軍を強化する事
  7. 御親兵を置き都を守る事
  8. 金銀や物の値段を外国と同じにする事
  9. おまんらゆるさんぜよ

龍馬が船の上で適当に思いついた事を話した内容が、後藤象二郎から土佐藩主の山内容堂に伝えられました。これは「船中八策」と呼ばれ、後に明治政府が出した五箇条の御誓文の基本になったといわれています。

ちなみに9.は2代目麻宮サキなので無視でいいです…

「スケバン刑事(でか)」ってネーミングがツボ。

龍馬は幕府に対抗出来る勢力として薩長同盟を目指しましたが、成立した後はすでに次を見据えていました。それは幕府が政権を朝廷に返上して、徳川も交えた合議制の議会を作るというものでした。

だから龍馬としては武力による到幕などは望んでおらず、薩長同盟により幕府を牽制して大政奉還を実現。さらに優秀な人材は身分の上下を問わず採用していくべきと考えていたのです。

山内容堂もこの龍馬の考えを支持します。山内としては、薩長によって幕府が倒されると政治の主導権を握られてしまうので、その前に龍馬の考えを実現させて、新体制において土佐藩の存在感を示そうと考えていました。そして幕府にも政権の返上を働きかけていきます。

ええじゃないか

一方で薩長は「大政奉還が実現されたとしても、けっきょく徳川家が権力を持つのでは何も変わらない」として、あくまでも武力による倒幕を目指していました。そこで公家の岩倉具視に倒幕の勅命を求めます。勅命とは天皇の命令。これが倒幕の大義名分となる訳ですね。

ちなみに岩倉具視は、これまた昭和の人には懐かしい五百円札の人ですね。その昔、五百円札っていうのがあったんですよ。

そんな中「ええじゃないか」と連呼しながら、民衆が集団で歌い踊りながら練り歩くという現象が起こります。発祥は諸説ありですが、これは「天からお札が降って来た、いい事が起こる前ぶれだ」として庶民の間で広がり、近畿や四国、東海地方などに拡大していきました。

まあこういう噂が噂を読んで急速に広がっていくというのは、ネットがない時代にもよくありましたよ。そういえば子供の頃「口裂け女」っていうのが流行ってたっけ。

「私、きれい…?」

大政奉還と王政復古の大号令

慶喜は「朝廷に政権を返上しても幕府自体が無くなる訳ではない」また「朝廷に政治を行う力もない」として、大政奉還に応じる構えを見せます。

岩倉具視らは帝がまだ幼いとして、薩長に対し秘密裏に倒幕の命令を出します。そして薩長がこれで武力行使だと盛り上がった同日、慶喜が政権を朝廷に返上しました。

慶応3年(1,867年)10月14日 大政奉還です。

これにより薩長はいかに密勅を受けていたとしても、武力行使の大義を失いました。

龍馬は戦を起こさせたくなかったので、この慶喜の決断を受けて

「慶喜公の為なら死んでもいい」

と、喜んだといいます。

しかし慶喜公の為ではないですがこの翌月、龍馬は近江屋で暗殺されるのです。

大政奉還によって幕府や徳川家は維持されたかと思いきや、王政復古の大号令により幕府の廃止が決定。徳川の400万石も返上するよう要求されました。

慶喜は大坂へ戻って自身の正当性を主張。しかし武力倒幕の大義名分が欲しい薩摩藩は、先に徳川から攻撃させようと執拗なまでに挑発を繰り返します。

こうして幕府軍は鳥羽、伏見の二手から京都へ向け進軍。鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争が始まるのです…

終わりに

いかがでしたか?

戦いを避けつつ幕府を守るという慶喜の手腕は中々のものでしたが、すでに時代は新しい方へ進もうとしていました。幕府存続の為にはやはり戦って勝つしかないという事ですね。

しかし260年って長いけど、江戸初期と幕末を比べても人々の暮らしってあんまり変わってないような…。そう考えると現在から振り返って、この100年だけでもかなり発展してますよね。

やっぱ電気の発明が大きいのかな!!

コメント