遊戯と情事? 栄華を極めた平安貴族

古代~室町

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前回の蝦夷の話で平安時代に入ったので、今回は平安貴族について見ていこうと思いますが…、遊びに恋愛にと、まあ~しゃらくせーっすよ。民主国家の現代ならただじゃ済まねーぞコノヤロー!って感じで。

そんな平安時代は大きく分けると、前半は貴族、後半は武士が活躍。今回はその前半です。十二単に身を包み、百人一首や琴に興じ、女流作家が活躍した華やかな時代。イケメンとの情事も描かれます。

それだけに女子人気ナンバーワンの時代なのだとか。腐女子の方はまた違うのかな?失礼な事を言うもんじゃありません!

藤原氏の台頭と摂関政治

800年代後半になると、それまでの天皇中心の政治から藤原氏による摂関政治が始まります。摂関とは摂政と関白。摂政は即位した天皇がまだ幼少とか女性だった時に代わりになり、関白は成人した天皇がいても中心になって政治を行います。天下人の豊臣秀吉で知ってる方も多いですよね。

藤原氏は、大化の改新の中心の一人である中臣鎌足が藤原を名乗り藤原鎌足となるので、要はその子孫です。

天皇中心の政治にするために蘇我氏を討ち倒したのに、今度はその子孫が天皇を差し置いて政治の中心になるというね。鎌足ちゃんが知ったらどう思ったのかな。

894年には菅原道真によって、遣唐使が廃止されます。

…ていうかイケメンとの情事まだ?

まだです!

遣唐使は、当時の中国の唐に派遣した使節(ちなみに飛鳥時代の頃の中国は隋という王朝だったので遣隋使です)。

この頃までの日本は、とにかく中国の進んだ文化を積極的に取り入れてたんですね。

ただ、唐で内乱が起こったり、朝鮮との関係も良くなかったりで、この年に派遣は廃止されました。そうして始まっていくのが国風文化というのですが、その背景には日本は日本の文化を見直し、また形成していこうという機運もあったと言われてますね。

数々の文芸作品が登場

そんな国風文化の大きな特徴が「ひらがな」や「カタカナ」のかな文字の始まりです。そして、「古今和歌集」や作者不明ではありますが日本最古の物語と言われている「竹取物語」が登場。

かぐや姫で有名ですよね。「神田川」とか「なごり雪」などの名曲があって、なごり雪はイルカのカバーの方が一般的だけど、あれはかぐや姫の曲だから。…まあ、そっちのかぐや姫じゃねーよっていうね。

その他、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語(情事キター)」、また、世界三大美女で知られる女流歌人、小野小町も有名ですね(だが資料は少ない)。

でも、あくまで「美人の基準」というものがあるとしての話だけど(セクハラ対策)、そういったものも現代とは少々違うみたいなんですね。

「色白でややふくよか、切れ長の目に綺麗な黒髪」

まあそんな所だそうで、べつに現代と変わらないと思うじゃないですか?壇蜜さんみたいだし。ただ描かれてるのはこんな感じ。

失礼だなこれ!いや、いいんだけども。

天神様になった菅原道真

遣唐使を廃止した菅原道真ですが、この人は非常に優秀で、さほど身分は高くないにも関わらず右大臣にまで出世します。ただ、そのことは藤原氏の妬みを買うことになり、現在の福岡に左遷されてしまうのです。

道真はその2年後に亡くなるのですが、時を同じくしてこの頃の京都を、落雷や疫病といった数々の災厄が襲います。藤原菅根や道真をハメた藤原時平も死に、醍醐天皇の皇太子も次々に亡くなっていきます。

これを道真の祟りと考えた平安の人達は、学問の神様である道真の祟りの雷➜天神様として北野天満宮に祀ります。現在も、湯島天神や太宰府天満宮にも祀られてますね。

出典:ミックスじゅーちゅ

ところで、童謡のとおりゃんせの歌詞に「天神様の細道じゃ~♪」なんて出て来ますが、とおりゃんせの物悲しい曲調と、最後の

「いきはよいよいかえりはこわい」

っていうのが意味深なので、現在でも都市伝説的なネタになってますよね。

ナルシスト貴族 藤原道長

1,000年代になると藤原氏の勢いも最盛期を迎えます。(この少し前、平将門が大きな反乱を起こすのですが、それは後半の武士編で)。1,018年頃の事

「この世をば 我が世とぞ思う 望月の欠けたることも なしと思えば」

と詠んだ藤原道長の歌があります。簡単に説明すると

「この世は俺のものみたいだぜ なんでも思い通りじゃねーか」

って感じですか。とんだ天狗野郎ですね。まあ一説には、祝いの席での酔った勢いという事のようですが。ただ、そう思わせるような実績?が多いのも事実で、なんと三人の娘を天皇の后(お嫁さん)にしています。そうやって権力を握り政治を牛耳っていくんですね。

ちなみに一条天皇の后となる障子の家庭教師が、源氏物語で有名な紫式部とのこと。道長と紫式部は不倫関係にあったのでは?との説もあります。

だとすると源氏物語は紫式部の実体験も含んでいたのかなぁ、などと思う訳です。

藤原氏の衰退と院政の始まり

そんな折、末法思想という終末論のような考えが広がり、平安の世がざわつきます。末法思想とは、釈迦が亡くなってから2,000年もすると釈迦の教えが伝わらない世の中になってしまうという考えです。

我々にはピンとこない話ですが、これは当時の仏教を信仰してる者には大変に恐ろしい事でした。

慌てた貴族達は何とかしようといろいろ調べるのですが、ついに浄土教という教えを発見します。極楽浄土で有名ですね。これは簡単に説明すると阿弥陀仏(南無阿弥陀仏でお馴染み)という方が

「自分を信仰すれば極楽浄土に導いてあげるよ~」

っていう教えです。信じる者は救われる的なね。

「これなら行けんじゃね?」

などと思ったかは分かりませんが、信仰の大きさを表すために藤原道長の息子である頼通によって、1,052年に平等院鳳凰堂が建てられました。10円玉のあれです。

1,068年、藤原氏の血をほとんど引かない後三条天皇が即位すると、藤原氏の力を排除しようとします。そうして考え出されたのが院政と言われていて、これは天皇を退位して上皇という位につく事で、藤原氏の影響を受けずに政治を行えるというもの。

実質的な最高権力者でもあるので、このことで天皇を早々に退位する人が出て来ます。

ただ、そうすると上皇が複数いる事になり、そもそも天皇としても面白くないですよね。藤原氏の影響力は弱まりましたが、朝廷内には更なる不協和音が響きます。この上皇と天皇の争いに武士を巻き込んで、いよいよ武士が中心の時代となって行くのです。

終わりに

いかがでしたでしょうか?

もう少し恋人たちの逢瀬とか、許されざる情事など紹介出来たら良かったですね。でも、確かにこの時代の貴族は日本文化の先駆けとなったけど、それはあくまで貴族のたしなみとしてであって、華やかでゆるい貴族の暮らしの裏で、庶民の生活はとても苦しいものでした。

現代に生きる庶民として、その事は心の片隅に置いておきたいものです。

出典:ネムコの絵日記

調子乗んなよ、貴族!!

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ネムコの絵日記 https://nemuko-diary.com/cat_66187.html

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