元寇とは、当時世界最大だったモンゴル帝国の元による、2度に渡る日本への侵攻。文永の役はその1回目です…って感じで
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しかし鎌倉時代が1,185年からっていうなら、覚える時の語呂合わせってどうしてるんですかね?せっかく「いいくに(1192)作ろう」がしっくり来てたのに。
いいはこ(1185)?
いいやごりっぱ(1185)?
え、なに言ってんのって感じなんだけど?
語呂合わせにケチつける人!
ていうかそんなん無くても1,185年ぐらい覚えるわ!
世界最大モモンゴル帝国
政子の姐さんも承久の乱の勝利を見届けると、その4年後の1,225年、役目を終えたかのように69年の生涯を閉じます。北条氏の執権政治はその後も続き、幕府の存在も揺るぎないものとなっていきますが、大陸では歴史上最大ともいえるモンゴル帝国が猛威を振るっていました。
時は少々遡り1,206年。モンゴルのテムジンという人がチンギスハンを名乗り初代皇帝となります。「ジンギスカン」で有名ですよね。
羊の肉を使った料理で、実際のモンゴル料理は全然違うものだけど、現代の日本人向けにアレンジされました。
されすぎたのかもしれません (監督!)
この地域は遊牧民が暮らしていて、いくつもの部族に分かれていましたが、数々の戦いを繰り返したのちに統一されモンゴル帝国となります。モンゴル帝国はその後も支配地域を広げていき、最盛期には東南アジアと日本以外のアジアのほとんど、さらにはヨーロッパの一部までをも制圧。後のイギリスの植民地支配地域を除けば、歴史上最大の帝国となるのです。
遊牧民なので馬術と弓術に優れていた事や、戦い慣れして戦術に長けていた事などが強かった理由ですが、政治的にも制圧した地域の文明を柔軟に取り入れていました。
チンギスハンが亡くなると三男のオゴダイが後を継ぎ、その後フビライハンが五代目モンゴル皇帝となり中国の一部を制圧。その地域を支配するにあたり中国の文化を踏襲し、中国風の「元(げん)」という名を付け初代皇帝となります。
そんな元がいよいよ日本にも支配の手を広げようとするのです。
高麗からの使者
元はまだ支配できていない南宋(中国の南側)を制圧する為にこの地域を孤立させようとしますが、日本はその南宋と貿易をしていました。そこで1,266年、日本にそれを止めさせたい元は、高麗(朝鮮)の手引きで日本に使者を送ります。
しかしその使者団は風が強いとかで引き返してしまうのです。
怒ったフビライは高麗に「今後はお前らが日本と交渉しろ」と命じました。
そして現在の感覚ではのんびりし過ぎの約2年後に高麗から使者が来ますが(やる気なさそう)、時の執権「北条時宗」はこれを追い返します。この時の書状は内容こそ
「元とお近づきになりましょう」
というような穏和なものでしたが、その裏には簡単に言うと
「言う事を聞かないとやっちゃうよ?」
というニュアンスが読み取れるものでした。
それを裏付けるように1,271年には最後通告とも取れる書状が届けられますが、幕府はこれを無視。着々と北九州の警備を強化していきます。
う~む、現政府も見習って欲しいね。ただ、思いのほか兵が集まらなかったのはご愛敬。
いざ鎌倉!!なんでしょ⁉
元寇 文永の役
元は1,274年、総勢4万近くの軍勢で日本に侵攻。これを文永の役といいます。元軍はまず対馬、壱岐を侵略。これにより一般の民や、水軍の松浦党も多くの犠牲者を出しました。幕府軍は元軍の「集団戦法」や「てつはう」に苦戦します。「集団戦法」とはそのままの意味ですが、多方向から組織的に戦う戦法です。ただ元軍のそれは戦術的にも非常に洗練されて優れていた事が伺えます。
「てつはう」はただの火薬のようなものなのですが、破壊力うんぬんの前に馬が音に驚いてしまい操れなくなってしまうのです。
その後、博多湾から上陸を果たした元軍はさらに攻勢を強めていきますが、幕府軍も「菊池武房」率いる武士団の活躍などで応戦。武房には一騎駆けで多く首を持ち帰ったとの逸話もあって、その活躍は「蒙古襲来絵詞」にも描かれています。
ちなみに「竹崎季長」の活躍も描かれていますが、この巻物はその季長が褒美をもらう為に描かせたものなのだとか。季長は相続争いに敗れて金がなかったので、褒美目的で頑張ったそうです。
そんな武士たちの活躍により次第に苦戦する元は、いったん引き翌朝に仕切り直そうと海上で待機していましたが、台風が来たので引き返して行きました。
高麗の文献によると、次第に増えていく軍勢を相手にするのは難しかったようです。
最初こそ渋る武士も多かったようですが、やるときゃやるぜって感じの心意気を感じさせますよね。そうはいっても朝になってすっかり元の船団が消えていた事には、武士たちも心底胸をなでおろした事でしょう。
ただ「台風なんて来なくても俺たち(武士)がやってやったけどね」というような感じの記述も残っており、強がり言うのはいつの時代も変わらないなぁなんて思うものです。
しかし、これで諦める訳もなく、元は即座に次の使者を送ってくるのです…
終わりに
いかがでしたでしょうか?
ちなみにフビライハンに付いて行動していたイタリアの商人マルコポーロの「東方見聞録」に、黄金の国ジパングが出てきます。これは当然日本の事ですが、「にほん」という発音がジパンと聞こえて、それがやがてジャパンになったという説があります。
だとするとジパングの「グ」はなんだろ?英語の発音しないGを入れちゃった感じかな?
聞こえないんじゃない。最初から言ってないんだ。
スタサプ!!
もし良かったら 元寇 後編 https://gozasourou.com/kamakura3/
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