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あの国民的大人気漫画の空白の100年ではないですが、じつは日本の歴史にも空白の約150年というのがあります。
だいたい西暦200年代中頃から400年頃の事で、この約150年の間に日本という国の成りたちとか、現代にもつながるこの国の歴史の根幹ともいえるような重要な出来事が起こったはずなのに、そこら辺がいまいちよく分かってないというのが日本史の空白の150年です。
色々な説はありますが、確たる証拠がない中、どこまでいっても答えは出そうにないという状況です。
ロマンがあると思いませんか?
一緒に古代日本の謎に触れてみましょう。
邪馬台国の概要
なんといっても古代日本といえば邪馬台国。卑弥呼という女王も有名です。
原初の女王卑弥呼
邪馬台国の成り立ちも詳しくは分かってないですが、当時の日本列島は倭国と呼ばれていて、いくつかの国に分かれていたようです。
その中の一大勢力が邪馬台国で、南にある狗奴(くな)という国と戦っていました。卑弥呼が亡くなったあと男の王を立てたのですがうまくいかず、卑弥呼の宗女にあたる台与(「とよ」または「いよ」説も)を女王にすると再び安定したとの事です。
宗女とは正統な血筋の者という意味なので、台与は卑弥呼の娘ともいわれてますが、卑弥呼は生涯独身だったのだとか。
なので姪か年の離れた妹かもしれませんし、独身といってもムフフな感じの関係だってあったかもしれませんね。
隠し子的な。隠れてないけど。
ちなみに卑弥呼は「鬼道」という謎の技の使い手だったそうで、巫女の占いなどに重きを置いていた時代でもあるので、よく分かりませんが鬼道とはそういった関係の何かなんですかね。
間違っても手を触れないで人を投げ飛ばすとか、手のひらから波動砲を出すとかの漫画的な能力ではなさそうです。
それとこれは創作かもしれませんが、男性を魅了する匂いも発していたらしいです。これは普通に考えれば香水みたいなものですが、なにかフェロモン的なものかもしれません。
軽い腋臭(わきが)だったのではないか、なんていう話もあるとかないとか…。
邪馬台国は三国志でお馴染みの魏に、貢ぎ物を持たせた使者を送っています。まあ、自分たちの事をよろしくお願いしますって所です。
中国には昔から中華思想という中国が世界の中心とゆう考えがあるので
「苦しゅうない」「よきにはからえ」
ってな感じで迎えたんですかね。それは分かりませんが、まあ歓迎はされたそうです。
そして邪馬台国は魏から「親魏倭王」という称号と金印をもらいました。
三国志 魏志倭人伝
ところで飛鳥時代より前になると、貝塚みたいな遺跡や土偶やなんかの出土品はあるのですが、文献としては日本には何も存在していません。
日本書紀とか古事記はありますが、あれは歴史を振り返って書いているので伝承とか神話の部分もあって、そこに関しては史実としては少々怪しくもあるのかなと。
いや分からないですよ?ヤマタノオロチだって存在したのかもしれないし…。
日本神話に関しては当サイトでも取り上げているので、良かったら観覧してみて下さい。
まあそれはそれとして、当時の日本の様子が現代に伝わってるのは中国の文献による所が大きいという事です。すでに中国の文明は当時としてはかなり進んでいました。
中国の文献には度々当時の日本が登場していて、邪馬台国の事も三国志の中で少し書かれています。その部分を日本では「魏志倭人伝」と呼んでいますが、それは邪馬台国が魏に使者を送ったからこそ、その記録が残っている訳です。
なのでもしそれがなかったら、邪馬台国や卑弥呼は確かに存在したのに現代には何も伝わらず、歴史的には無かった事になっていた可能性も実は高いんです。
そんな国は幾つもあるんでしょうから、そう考えると邪馬台国…、グッジョブ!!って感じではあります。
ただその後しばらく、中国の文献からも倭国(当時の日本列島)についての記述はなくなる事になります…
大和朝廷の登場
再び中国の文献に倭国が顔を出すのは413年。すでに邪馬台国はなく、大和朝廷(王権、または政権)という統一国家が本州の大部分を支配していました。
大和朝廷は天皇制を敷いていて、現代の皇室までそれは続いてます。なのでこの大和朝廷が日本の国家としての始まりと言っていいと思うのですが…
この肝心な150年が空白という訳なんですよね!!
どうした邪馬台!?
大和朝廷ってどこから来て如何にして支配者となった!?
個人的には日本の歴史最大の謎で、且つ最もロマンを感じる部分なのです。
空白の150年
ではこの空白の約150年の間に何があって、大和朝廷とはどこから来たのかを考えてみたいと思います。
日本書紀における邪馬台国
いくつか考えられるのですが、まずは邪馬台国が他の国と同盟を結び、やがてそれが大和朝廷になっていったという説。
すでにいくつかの小国を従えていた邪馬台国自体も連合国家といえますが、そこにもう少し対等に近い国が加わって、勢力を拡大していく中で少しずつ姿を変えていったと。
中々よさそうなんですが、ただ日本の正史である日本書紀に邪馬台国や卑弥呼の事は書かれてないんです。日本書紀は後に日本の歴史を振り返って書かれた物なので、大和朝廷の起源が邪馬台国ならばそこは盛大に書き記していいはずなんですが…。
その辺がどうも不自然ではあります。
ただこれについては、日本書記に登場する人物の中の誰かが卑弥呼であるという説もあって、天照大神や倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)など、他にも様々な人物の名前が挙がっていますが、色々と矛盾点もあり、裏付ける証拠という意味では現状どれも大したものは無いようです。
大和朝廷の存在
次に邪馬台国って実は大した事なかったのでは…?という説。
ちなみに自分はこの説が一番矛盾も少なく腑に落ちる説だと思っています。
というのも、邪馬台国は魏に倭王としてのお墨付きを頂き、また後ろだてにもなってもらいたかった訳です。
なら使者もある程度はハッタリをかましたり、話を盛ったりしたんじゃないかと思うんですよ。
ていうかしますよね、普通に。卑弥呼の鬼道の話とか、もうね…って感じで。
そんな話が魏志倭人伝として記録には残ったけど、実はけっこう追い込まれていて、魏を後ろだてにして起死回生を計ろうとしたのではないかと。
ただその前に「魏がなんぼのもんじゃいーっ」って勢力にやられたと。そもそもそれほど強かったのなら、そんなケツ持ちみたいなものは必要ないのではないかと思う訳です。
それで大和朝廷(大和王権)というのは中国と関わらなかったから文献に出てこなかっただけで、すでに倭国の絶対王者として長らく列島に君臨していて、朝廷からしたら邪馬台国など取るに足らない小国だったのだとしたら…。
それなら書き記すまでもなかったということで、日本書紀や古事記で邪馬台国について触れられてないというつじつまも合うし、日本書紀の信ぴょう性もグッと上がるというモノです。
ただ三国志の頃より更に遡って、漢という時代の中国の文献にも倭国についての記述がありますが、日本書紀によればすでに存在していたであろう大和朝廷は出て来ません。
度々関わりのあった中国に全くその存在を知られなかった大国。
まあ、無くはないんでしょうけど…。
邪馬台国VS大和朝廷?
そして邪馬台国が大和朝廷に滅ぼされたという説。
ちなみにワンピースの空白の100年が日本史の空白の150年にインスピレーションを得たのだとすれば、この説がワンピースのそれに近いのかもしれません。
やっぱり邪馬台国はけっこう強く一国ではどこも勝てないので、いくつかの国が手を組んでなんとか邪馬台国を倒し、その連合が勢力を拡大し、やがて姿を変えて大和朝廷になったと。
ただ、そこには何らかの不都合な部分があって、邪馬台国の事は歴史から抹消。
一方、邪馬台国の人たちはそんな先の運命を感じ、せめて自分たちの存在した証を未来に残そうと魏に渡ったのだとしたら…。
大和朝廷も中国の文献まではどうする事も出来ず、邪馬台国の存在を完全に歴史の闇に葬る事ができなかったというのはどうでしょうか。
さらに邪馬台国の生き残った人たちもわずかに存在し、その後日本の歴史が大きく動く時には強く影響を及ぼし、明かす事はないが邪馬台国の末裔は現在も存在しているというのは荒唐無稽ですかね。
まぁ、その場合は不都合な歴史っていうのがなんなのか…。連載が終わる頃には伏線回収されてるといいのですが…
って、どっから漫画の話よ!?
その邪馬台国の末裔がやがて海賊王を目ざし…、ってもういいよ!
いずれにせよ確たる証拠がない以上、どこまでいっても答えは出ないんですけども。
ちなみに奈良の箸墓古墳が卑弥呼の墓という説があるんですが、宮内庁によって厳しく発掘が管理されているのだとか。
まあ信じるか信じないかは…って感じですよね。
邪馬台国=大和国→大和朝廷
最後は現在に伝わっている「邪馬台国」とはあくまでも中国の文献の記述であって、実際は「大和国」であるという説。
その大和国こそ大和朝廷(大和王権)という訳です。
つまり邪馬台国とは大和朝廷の事なので、べつに滅んだ訳でもなくずっと続いているのだと。
やまたいこく=やまとこく
う~む…
凄くもっともらしくはあるのですが、なら日本書記にそういう記述があれば解決なのにそれはないっていうね。
なんか魏が間違えてるみたいだから、この際、大和が中国に朝貢していた事実も隠蔽してしまおうって事だったのかもしれないですが…。
邪馬台国の場所
ちなみに邪馬台国が日本列島のどこに存在していたのか、詳しくは分かっていないというのも有名な話です。
これは魏志倭人伝に書かれている場所を辿ると日本海に出てしまう為です。まあ当時の航海技術ですから仕方ない。ナミさんが航海士だったのならともかく。
そこで現在有力なのは畿内説と北九州説です。
畿内説は大和朝廷が京都を中心に栄えているので、邪馬台国と朝廷に何らかの関係があったと考えて。北九州説は大陸への渡航のしやすさから。
邪馬台国と大和朝廷を同じ存在と考えるのか別ものと考えるのかで、邪馬台国がどこにあったのかという考えもまた変わって来るのだろうと思います。
本稿は試験勉強には役立たないので、学生の方は良かったら下記も参照に。
インターネット家庭教師Netty終わりに
いかがでしたでしょうか?
本稿では日本史の空白の150年とは何かという事と、その間に起こったであろう事実について考えてみました。
確たる証拠がない為か、邪馬台国については様々な説や論争があります。
そんな古代日本はロマンに溢れ、歴史好きの心をつかんで離さないのです。
古代日本に思いをはせると、個人的には何か壮大な夢を見ているような気分になります。すごく自分の小ささを感じたり、些細な悩みなどどうでもよくなったり。
自分はそんな感覚が心地良くて歴史を楽しんでいるように思います。
ただ、月末には確実に家賃の支払いが…
悩み、どうでもよくなってねぇな!!
ちなみにこの記事の内容は所々個人の見解です…ってまあ当然ですけど。
邪馬台国の前は日本神話
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