人を呪わば穴二つ…って感じで
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武士の起源というのも諸説ありなんですが、おそらく先駆けとなって存在感を示したのは平将門と藤原純友です。二人とも大和朝廷に対して反乱を起こしました。
平将門は自らを新皇として独立国を作ろうとし、藤原純友は海賊王になろうとしたかまでは分かりませんが、瀬戸内海で反乱を起こした元貴族の海賊です。
朝廷が武士の存在を無視できなくなるきっかけとなりました…
武士の起こり
時は少々遡り、743年。聖武天皇の時代に墾田(こんでん)永年私財法が発令されます。これは、自分が耕した土地なら永遠に自分の物に出来るというもの。それまでは三世一身法といって三世代までだったので、いまいち民もやる気が出なかったんですね。
特に孫の代からしたら、いくら頑張っても自分の代で土地を返さなくてはならない訳です。「やってらんね~」って感じですよね。
なので、これを無くす事で農地開拓を活性化させようとしました。
ところでこの頃はまだ江戸時代のように町奉行所などはありません。
なので自分で土地を守らないとならないんですが、一般の人達にそんな力はない訳です。
そこで力のある者を雇って守ってもらったり、他にも寄進といって、土地を有力な貴族やお寺に寄付して、収穫物の一部を納める事で守ってもらう人もいました。
ただ、そんな貴族やお寺も土地は守らないとならないので、人を使って警備をさせます。
この辺の、今でいう警備員や用心棒が武士の起源といえると思うのですが、お決まりの諸説ありです。
他にも、地方に派遣された国司の中には横暴な人もいて、それに武装して反抗した者が武士と呼ばれるようになったという説もあります。
貴族から武士になる者も増え、手を組み、そうして出来た武士団も統廃合を繰り返し、やがて大きな二つの武士団が形成されます。それが、かの有名な「平氏」と「源氏」です。
武士の脅威 承平・天慶の乱
朝廷内で藤原氏が権力を振るっていた、935年。下総国という今の千葉県辺りで「平将門」が反乱を起こします。三大怨霊で有名ですよね。いや他にもあるだろって感じで、嫌な知られ方ですが…。
そんな将門は桓武天皇の血を引く千葉の武人で、一族内で縄張り争いをしていました。大変強く次々と勢力を拡大していましたが、その事は朝廷内でも話題になるほどでした。
そんな折、頼ってきた人物を助けてやろうと朝廷から派遣された役人に意見をしたとかで、将門は「朝敵」となってしまうのです。朝敵とは文字通り朝廷の敵という意味で、いわゆる国の正規軍を官軍、国に歯向かう勢力を賊軍といいます。「勝てば官軍負ければ賊軍」なんていうあれです。言い得て妙って感じですよね。
この時代に限らずですが、朝敵とは国を敵に回す事ですから大変な事態です。さすがの将門も焦るのですが
「やるなら今しかねぇ~♪」
(アニキ!!)
などと口ずさんだかは分かりませんが朝廷と戦う道を選ぶのです。
どうせやるならでっかく行くぜって感じで(個人的見解)、自らを新しい天皇「新皇」と名乗り、関東に大和朝廷に属さない独立国を作ろうとします。
ここまであからさまに突っ張って来るとは、さぞ朝廷内もざわついた事と思いますが、将門を倒せの大号令をかけます。
ほぼ同時期の939年。瀬戸内海でも大きな反乱が起こります。なぜに海?と思うかもしれませんが、反乱を起こしたのが「藤原純友」という、なんと海賊なんです!
ただこの人、べつに生まれながらの海賊という訳ではなく、藤原姓からも分かるように元々は貴族。しかもこの地域で横行していた海賊行為を取り締まる側でした。でも、そんな捕らえた海賊の中には、元は貴族に仕えていたという、今でいうリストラをされた者も多くいました。
長年にわたり貢献をしましたが、後から来た貴族に手柄を横取りされてしまったり、また中央に搾取されてると感じていた地方の不満も募り、ついに
「海賊王におれは…」などと思ったわけでもないんでしょうが、朝廷に反旗を翻します。
海賊だけにね。ドクロのやつ。なんつって。
こうして同時期に起こった反乱を、併せて「承平・天慶の乱」といいます。さすがの朝廷もこの二つの反乱を同時に鎮圧する事は出来きず、すでに将門の乱を治める為に人員を割いていたので、瀬戸内の方には積極的に兵を動員出来ませんでした。
将門の反乱は平貞盛と藤原秀郷の活躍により終わりますが、流れ矢が当たったとかで将門の死はあっけないものだったようです。
将門の呪い?将門塚
ですが話はそれで終わらず、むしろここからが平将門の名が現代まで褪せる事なく伝わる要因となります。将門の首は京都に持ち帰られさらし首になるのですが、その眼は見開かれ
「躰はどこだ もう一戦するぞ!」
といった事を叫び、その内に胴体を求めて関東の方角に飛んで行ったというのです。何とも眉唾な話ではあるんですが、首が落ちたとされる場所に首塚が建てられ、有名なのが東京の大手町の首塚です。
自分も近くで仕事があったので何度も行った事がありますが、高層ビルが立ち並ぶ中に本当にひっそりと建てられています。なんでも、取り壊したり取り壊そうとする度に、事故や病気で人が亡くなっていくのでそのままにしてるのだとか。
う~む…
藤原純友の方はというと、将門の乱を鎮圧した朝廷から援軍が来て劣勢になり、逃亡先の九州で捕らえられ処刑されたそうです(これも諸説あり)。
本稿は試験勉強に役立たないので、学生の方は良ければ以下も参考に
終わりに
いかがでしたでしょうか?
平将門と藤原純友の反乱。この同時期に起こった反乱がたまたまだったのか、申し合わせたのかは分かりません。個人的には将門の乱の話を聞いた純友がそれに続いたのではないかと思っています。ただ言えるのは、貴族中心の朝廷の絶対的な影響力が、確実に弱まって来ているのだという事。
そして一部ふざけてはいますが、この記事はちゃんと資料に基づいて書かれているのだということです!
では、次は時代も戻り貴族編の続き、源氏と平氏が大活躍します。
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