日韓併合の経緯 学校で教えない真実 日本と朝鮮の関り

明治~現代

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ある韓国の大統領の「地理的に見ても韓国は日本を守って来たスミダ」という発言がありましたが、とんだドアホですね。朝鮮が強い独立国だったら確かに日本にとって朝鮮はアジアの壁になりました。でもそうじゃなかったから、どれだけ日本が苦労してきたのかっていう話でしょうが。

でも個人的には現在の韓国人が悪い訳ではなくて、簡単にいうと間違った教育のせいだと思っています。そしてそれは悲しいかな日本人にも当てはまるのです。

明治43年(1,910年)8月、日本は韓国を併合しました。なぜそのような事になったのか。その理由を贔屓目なしで見ていきます…

元寇 蒙古襲来

日本と朝鮮の関係は歴史的に見ても深いものがありますが、個人的には元寇の辺りからが問題となっていくと思います。

当時はモンゴル帝国が勢力を拡大していて、宗(当時の中国の王朝)や高麗(当時の朝鮮の王朝)を占領していました。そしてその地域を元(げん)として、次は日本って事で高麗を使ってちょっかいを出してきた訳です。日本(鎌倉幕府)は元との交易を拒否したので、怒った元の大軍が攻めて来ます。

ただこの軍にはもちろんモンゴル人もいましたが、実質的には中国人や朝鮮人が多かったといわれています。ご存じの方も多いとは思いますが、この時は台風にも助けられ退ける事が出来ました。

しかし特に朝鮮は日本海にせり出した半島で日本列島にも近い事から、(朝鮮自体にその気がなくとも)他国に支配されればその国の意向次第でこういう事になる訳です。

とはいえこの頃は日本としてもまだ、外敵に対してそこまで警戒しなくてもいい時代ではありました。

ちなみにこの後、対馬の海賊団「倭寇」が朝鮮半島で略奪行為などを繰り返して迷惑をかけています。ただそれは元寇で酷い目に合わされた事の報復でもありました。

秀吉 朝鮮出兵

朝鮮との関係は時に良かったり悪かったりして来ましたが、朝鮮は大陸の向こうの島国である日本を格下に見ていたようです。要は自分たちが中国の一番弟子だと。一方で日本は中国と対等であろうとし、朝鮮は中国のオマケみたいに感じていました。そんな中で次に歴史的に大きかったのは、豊臣秀吉の時代の「朝鮮出兵」でしょう。この出来事は現在でも反日の材料にされたりします。

秀吉には明(当時の中国の王朝)を攻略するという野望がありました。そこでその案内を朝鮮に頼んだ所、拒否されたので朝鮮から攻める事となったのです。

秀吉の野望の為に朝鮮が戦場となったので、さすがにこれは良くなかったと思います。

ただこの時もあくまで日本と明の和睦であって、朝鮮は巻き込まれたというかたち。つまり日本にとって朝鮮は眼中に無かったともいえます。つまり言い方は悪いけど、要は朝鮮を領土的野心でどうこうという考えはなかったという事です。

清の冊封国家

現在では日韓関係となると「韓国とは関わらないのが一番」という意見もありますが、実際に日本が外国との交易を極めて制限していた江戸時代には、これといって朝鮮との間に問題はありませんでした。先進諸国が東アジアにも進出して来てから、日本は国防の為にも朝鮮の状態を注視しなくてはならなくなるのです。

日本も清(当時の中国の王朝)も、イギリスやフランスなどの軍事力を脅威に感じていました。

そんな日本は幕末から明治維新を経て、開国と近代化を進めてきました。その頃の朝鮮は清の冊封国家で、日本とは国交が途絶えている状態。冊封国家とは国として他国に臣従しているというような感じです。

日本は明治になってからは外国と広く交易していこうという方針を打ち出していたので、朝鮮にも開国を求めていました。

朝鮮からしたら「そっちの都合など知らんスミダ」といった所ですが、日本としては国防上、朝鮮を影響下に置きたい訳です。朝鮮が強い独立国だったならまだいいのですが、先進国に歯が立たない清に降ってるようでは心許ないという訳です。

日清戦争

そんな折の明治8年(1,875年)9月、日本の軍艦が朝鮮から攻撃されるという「江華島事件」が勃発。この報復として日本は江華島を占領。

翌年には「日朝修好条規」という、朝鮮にとっては不平等な条約が結ばれました。ただ日本は朝鮮が清の冊封体制から外れるよう努めてもいます。

こうして日本は朝鮮に対して影響力を持ちましたが、朝鮮国内では国王の高宗の実父である大院君と妃の閔妃が権力争いを繰り返していました。そんな中で日本が強引に親日政権を成立させ、それが決定打となり日清戦争が勃発します。

日清戦争に勝利した日本は下関条約で「朝鮮の独立」を清に認めさせました。ここが大事な所で、日本が領土的野心で朝鮮にちょっかいを出していたなら、この時点で朝鮮を強引に植民地にする事だって出来た訳です。台湾は割譲させて植民地としています。朝鮮に対してはそうではなくて、強い独立国となる事を期待したのです。

日露戦争

しかし朝鮮国内では再びクーデターが繰り返され、日本の働きかけも及ばず親露政権が成立。国号を「大韓帝国」とし、朝鮮の国王だった高宗が皇帝となります。こうなると日本にとってはロシアの脅威にもさらされる事となり、清での勢力争いもあり日本とロシアの関係も悪化。やがて日露戦争が勃発しました。

日露戦争に勝利した日本は、ポーツマス条約で韓国(朝鮮)に対する日本の優越権を認めさせます。そしてこの頃は日本の同盟国でロシアを警戒していたイギリスも、朝鮮が独立国である事は重要と考えていました。ロシアの南下政策の抑止力としたかった訳です。

日本との関係性もありイギリスが朝鮮を植民地にする事はありませんが、一説には「とてもではないが朝鮮の面倒など見られない」と感じていたそうです。

つまりあれほど色んな国を植民地にしていたイギリスでも、朝鮮はいらないと判断したという事です。

日本の侵略?

いよいよ現在の反日が日本の侵略だと主張する辺りに入って行きます。

明治38年(1,905年)11月、第二次日韓協約が締結。これは独立国としてやっていけない韓国を日本が保護するというもの。これにより韓国の外交権は日本に接収され、さらに韓国軍の指揮権も日本が押さえます。

そして韓国に「統監府」が置かれ、伊藤博文が初代統監となりました。

これを不服とした皇帝の高宗は1,907年6月、オランダのハーグで開かれている第2回万国平和会議に密使を送り、欧米の列強諸国に日本の支配体制を訴えようとします。しかしこれは列強諸国から「外交権のない韓国とは話は出来ない」として門前払いに合い失敗に終わりました。

これを「ハーグ密使事件」といいます。

これを受け伊藤博文は

「かくの如き陰険な手段を以て日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるには捷径なるにしかず」

と高宗を叱責したそうです。これは要するに

「こそこそしてないでそんなに不満なら日本に宣戦布告でもしてみたらいい」

といった所ですね。

そして7月、高宗は退位して純宗が皇帝に即位。さらに第三次日韓協約が結ばれます。これは韓国の内政権も日本が押さえ、韓国軍も解散するというもの。これに対しては義兵運動という反乱も起こり、日本は軍を投入しこれの鎮圧に当たりました。

そんな折の明治42年(1,909年)10月26日 伊藤博文 暗殺

ロシアのハルビン駅にて、民族主義者の安重根(アンジュンクン)に銃殺されました。

日韓併合

ちょっと長くなっていますがここがまた重要な所です。この頃には日本国内でも「韓国を併合するしかない」という考えが大きくなっていました。とはいえ協約により、すでに韓国は日本の植民地のようになっていたのです。

併合とはそんな韓国を日本に加えるという事なので、これは韓国を思っての事でもあったのです。

ただ伊藤博文は当時の日本の実力者でありながらも数少ない併合反対派で

「保護国で十分だし、韓国の体制が整えば独立すればいい」

という考えでした。これも韓国を思っての事。だから韓国民が併合を望まなかったのなら、伊藤博文を殺害する理由はない訳です。

伊藤博文は死に際に

「俺を撃つなんて馬鹿な奴だ」

と言い残したそうです。

安重根は現在でも韓国では英雄視されています。しかし同時に日韓併合を屈辱の歴史と言います。つまり言ってる事が支離滅裂。感情論だけで論理的な歴史観など持っていない事が分かります。

そして日本なら例えどうあれ、他国の要人を暗殺したような人物を英雄視はしませんね。

伊藤博文が生きていたらどうなっていたのかは分かりませんが、いずれにしろこの事件が決定的となり

明治43年(1,910年)8月、日韓併合が成立するのです…

終わりに

いかがでしたでしょうか?

日韓併合までの流れは、朝鮮の立場からすれば日本の侵略だという主張も分かります。

しかし決して「武力侵攻で強引に植民地にした」というものではなく、決定に関しても当時の政府間で閣議決定されたものです。

ちなみに朝鮮の身分制度で両班(りゃんばん)という特権階級の人がいました。これは日本の貴族の強力版というか、人気漫画ワンピースの天竜人みたいな人達です。この両班の全人口に占める割合が高く(一説には30%とか70%との説も)国が発展しなかったというのもあったそうです。そして併合後に身分制度は撤廃されています。

これは一般の朝鮮人には大歓迎でしょう。

併合後に日本は(その時は朝鮮も日本)アンケート調査を実施しましたが、多くの朝鮮人は併合に対し「仕方なし」とか「興味ない」という反応で、断固反対していたのは10%にも満たなかったのだとか。そして反対していたのもほとんどは特権階級の人や安重根のような極端な民族主義者でしょう。

そして伊藤博文が言うように、そんなに日本が気に入らなかったのならば、国を挙げて戦えばよかったんじゃないですかね。

そりゃあ両班に限らず、誰も他国に加わりたくなんかないでしょうよ。例えばいくら体制が保障されたとしても、日本がアメリカの州になるなんてのは嫌ですから。

ただ自分たちでは独立を保てず、戦う事もしなかったんだという事実は知っておいて欲しいという事です。

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