蒙古襲来前編 https://gozasourou.com/kamakura2/
元寇とは、当時世界最大だったモンゴル帝国の元による、2度に渡る日本への侵攻。弘安の役はその2回目です…って感じで
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1,274年、元の侵略を武士の活躍と台風によって退けた鎌倉幕府。そういえば台風ってだいたい沖縄から上陸してさらに九州、そして日本海側をかすめて行く事が多いですよね。近年の台風被害の大きさからすると複雑ですが、この時代は助けられました。
しかし、これで諦めるようなら世界最大の帝国にはなっていない訳で…
強気姿勢の鎌倉幕府
元(げん)は撤退した数か月後にはさっそく使節団を送って来ますが、風が強くて引き返した1回目から数えてじつに7回目の使節になります。中々にしつこいですね。現政府なら「誠に遺憾です」で問題先送りって所ですが、鎌倉幕府はそんなに緩くはありません。
しつこいのが理由でもないでしょうけど、ついに使節団を斬り捨てさらし首にします。
そういえば、チンギスハンの生涯を描いた「蒼き狼」っていう小説がありますけど、モンゴルが狼なら日本は虎ですよね。真珠湾攻撃の「トラ トラ トラ」にかける訳じゃないですけど。
虎はなにゆえ強いと思う?もともと強いからよ…(傾奇者!)
って感じで、現政府はもっと堂々と構えていいんじゃないですかね。
まあ国際会議の場とかでこんな発言したら笑うけど、きっと国内での支持率は急上昇間違いなし。
いや間違いだよ!!
モンゴル帝国の攻勢
それでモンゴル帝国というのは相手のこういう態度を決して許さないんですね。倍返しどころか何倍にもして報復し、そうやって支配地域を広げて行きました。元(げん)も当然ながらそういったやり方を踏襲。再び日本侵攻の計画を進めます。
一方、鎌倉幕府の方も前回の上陸を許した教訓を活かして、博多湾沿岸に石塁を建てて防御を固めていきます。
ちなみにモンゴル帝国が制圧した、東アジアを中心とした地域を元(げん)といいます。文永の役で日本に攻めてきたのも元ですね。
そんな折、元はついに南宋を攻め落とします。南宋とは今の中国の南側の辺りです。元々はこの地域が欲しくて日本に近づいてきた経緯があるので、目的を達成したらもう日本に用はないように思いますよね。しかしそれでも元の日本侵攻計画は中止にはなりませんでした。
南宋をさらに弱体化させる為に日本にぶつけたとの説もありますし、また黄金の国と聞いて日本自体に興味を持ったのかもしれないし、単純に領土的野心からかもしれません。
ただ個人的に思うのは、やっぱり逆らうものは許さないという、帝国の威信みたいな考えが強かったと思うんですよ、ここまでくると。
蒙古再び 弘安の役
そうしてついに1,281年、今度は総勢16万ともいわれる軍勢で侵攻を開始。これを弘安の役といいます。
元は前回にはなかった数々の防塁に苦戦しながらも多方向から攻めてきます。
文永の役では多くが犠牲になった松浦党も、今度は身内の敵討ちとばかりに徹底的に応戦。前回同様、菊池武房の菊池一族や金欠の竹崎季長も活躍します。
一進一退の攻防を繰り広げる中、元軍の船上では戦い以外の問題を抱えていました。季節が初夏という事もあって暑く、食料が腐ったり疫病が流行ったりしてしまうのです。
なんでそんな時期に来るかな…?
元軍は、幕府軍の夜襲攻撃にも手を焼きいったん後退。鷹島に集結して総攻撃をしかける作戦に出ようとしますが、そこでまた台風が来て次々に船が沈んでしまうのです。
もう完全に台風を起こせる奴がいるな!!
なんとか陸に上がる事が出来た元軍の兵隊も、殺されたり捕らえられたりで散々な目に合います。
こうして戦いは日本の勝利で終わりました。
元の侵略を二度も退けた時の執権「北条時宗」も、この勝利を見届けた事で役目を終えたかのように、約3年後の1,284年、32年の人生を終えるのです。
鎌倉幕府の終わり
しかし「これでめでたし」とはなりませんでした。元に勝利しても、幕府は御家人たちが納得するような褒美を出せなかったのです。内乱なら負かした相手の土地を褒美に出来ますが、今回は海の向こう…。しかも戦いによってただでさえ消耗しています。
しかし御家人たちからしても自腹で、また足りなければ借金をしてまで装備を整え戦地まで行き、命を懸けて戦いました。現在のように送迎バスがある訳でもありません。それなりの褒美を頂かないと合いませんよね。
そこで幕府は苦肉の策として1,297年に徳政令を出します。これは今回の御家人たちの借金は帳消しにするというもの。借金帳消しはうれしいけど、考えてみればプラマイゼロみたいなものだし、そもそも借金は幕府からではなく普通の民からです。一般の民は武士に対して
「んなもん関係あるかい!借りたもんきっちり返さんかい!!」
などと闇金みたいな事は言えませんが、もう武士にお金を貸さなくなってしまう事は十分に予想できるので、借金をして何とか生活していた武士には厳しくなっていきます。
こうして経済は衰退していき、後醍醐(ごだいご)天皇の時代の1,333年に、鎌倉幕府に終止符が打たれました。
「ガンダーラ」や「モンキーマジック」の名曲で有名ですよね。
まあ、ゴダイゴの方じゃねーよっていうね…
終わりに
いかがでしたでしょうか?
ちなみにモンゴル帝国の方はその後も懲りずに日本を侵略しようとはしますが、東南アジアでも苦戦し跡目争いや相続などで領地も細切れになり、やがて緩やかに衰退していきました。
武器も鉄砲などが主流になっていくので、遊牧民が強かった時代も終わる時が来るのです。
ところで鎌倉といえば大仏ですよね。
って、鎌倉時代これで終わり!
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