もう地味とは言わせない 室町時代の人間模様

古代~室町

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歴史好きの方は多くても、「室町時代…1番好きです!」って人は恐らくいないであろう谷間の時代。戦国武将が群雄割拠する前の印象に残らない時代。試験勉強でももっとも覚えづらい特徴なき時代。むしろ存在したのかさえ微妙な…

ふざけるんじゃねえよ!! by足利氏

足利氏が大活躍します!!

室町時代の範囲

一応、室町幕府も1,573年まで存続してるので、いわゆる戦国時代も室町時代の後半辺りからですし、あの織田信長が活躍しだしたのもその辺りからなんですよね。ただ、一般的にはあくまでもそれは戦国時代であって、なぜか室町時代の印象はないんです。

そのせいで室町時代って微妙とか思われてるのかもしれませんが、戦国の世に入っていく要因が分かると面白いですし、前半だってわりと見どころがありますよ。

例えば金閣寺とか、あの世界遺産の…金閣寺か。別名を鹿苑寺という…、まあけっきょく金閣寺だな…

失敗に終わった建武の新政

武士による政権、鎌倉幕府。その滅亡に協力し戦ったのもまた武士でしたが、褒美もなく土地を取り上げられたりもします。そりゃあ後醍醐天皇が幕府嫌いなのだから、当然ながら幕府滅亡によって武士の権利も軽んじられるようにはなりますよね。

幕府を滅ぼして後醍醐天皇がやろうとしていたのは天皇中心の政治。1,334年にはさっそく始まるのですが、これを建武の新政といいます。

しかしこれは900年代ぐらいの頃を理想としていたようで、今さら武士をないがしろにして上手くいくはずはないですよね。もっとも900年代は藤原氏の摂関政治の全盛で、まったく天皇中心ではなかったと思いますけど。

それはともかく当然ながら武士たちは反発し、この頃には存在感を示していた足利尊氏(あしかがたかうじ)を頼り集まります。尊氏自身は野心家という訳でもなかったのですが、こうなってはほっとく事も出来ず行動を起こすのです。

まあ、こういう周りから頼られる人ってたまにいますからね。

北朝と南朝

尊氏は新しく幕府を開こうとしますが、その為には朝廷から征夷大将軍に任命されなければなりません。源氏の血を引く武士なので問題はないのですが、何しろ幕府嫌いの後醍醐天皇。事はそう単純ではありません。そこで尊氏はこの際、新しい天皇を誕生させてしまおうと考えました。

え?って感じですが、じつは鎌倉時代の終わりぐらいから、朝廷は二つの系統に分かれていました。それが持明院党と大覚寺党なんですが

「もめずに交互に天皇を出していきましょう」

という感じで話はまとまり、これを「文保の御和談」といいます。ただ、これには大覚寺党の後醍醐天皇も不服でした。そこで尊氏は、この頃は虐げられていた持明院党に接近し、自分の武力で手助けするからと働きかけ、新しく光明天皇を即位させます。征夷大将軍にも任命され1,338年、室町幕府を開くのです。

そんなものは認めないといっても、光明天皇には武士団がついていて分が悪い後醍醐天皇は、奈良の吉野に逃げ込んでそこで政治を行うようになります。こうして朝廷は南北に分かれて争う事になりました。

やがて後醍醐天皇も足利尊氏も亡くなりますが、けっきょくこの争いは50年以上も続く事となるのです。

室町時代の名称軍 足利義満

尊氏の跡を継いだ息子の義詮(よしあきら)は、戦いと性行為を繰り返す中で消耗していき37歳で死去。その息子である足利義満(あしかがよしみつ)の時代、1,392年にようやく南北に分かれた朝廷が統一されました。ちなみに義満が京都の室町に花の御所(将軍家の邸宅)を置いた事が、室町幕府と呼ばれる所以(ゆえん)となっています。

1,404年には明(中国の王朝)との勘合貿易を開始。前回取り上げた倭寇の取り締まりも強化します。勘合貿易とは日本と明で互いに合札を持ち、これを合わせる事で幕府の正式な船の証明にするというもの。

他にもこの頃の文化を公家や武家中心の「北山文化」といって、象徴的なものとして有名なあの金閣寺があります。

そんな義満の後を継いだのが息子の義持ですが、義満が実際に可愛いがっていたのはもう一人の息子の義嗣。それを恨んでの事かは分かりませんが、義満の死後、生前の功績を考慮し朝廷から「太上天皇」の尊号を贈られますが、これを義持は「前例がない」とかの理由で断っています。

その後、義持も息子に跡を継がせますが、その息子は急死し、いよいよ跡取りがいなくなってしまう事態に。そこで次の将軍は候補者を数人立てた後、くじ引きで決める事になります。

もっともこれは神に判断を委ねるといった感じで、関係者としては大真面目でした。

そうして選ばれたのが義持の異母兄弟にあたる義教(よしのり)です。この人は仏門に入っていて義円と名乗ってましたが、還俗(俗人に戻る)して将軍になりました。

この結果自体が仕組まれたものという説もありますが、当たりくじと勘違いしてガッツポーズを決めるような人もなく、淡々と進められたようです。

くじ引き将軍 足利義教

しかし、この神のお告げとやらで選ばれた義教。神がかった活躍を見せます。

まず、休止していた勘合貿易を再開し、この頃にはまだ燻っていた後南朝問題にも着手。元僧侶でありながら比叡山の焼き討ちまで行っています。

鎌倉公方という鎌倉幕府滅亡の後、関東を支配する為に置かれた役職があるのですが、段々と独自の権力を持ち言う事を聞かなくなっていました。この時の鎌倉公方だった足利持氏を自害に追い込んだのが「永享の乱」。

その他、言う事を聞かない守護大名を殺害までして幕府の権力を示し、やがて九州の平定も成し遂げました。

う~む…

ただ、そうした強行姿勢は次第に大名たちの反発も招き、1,441年の「嘉吉の変」で、赤松氏の勢力によって殺害されてしまうのです。

その後は一応、義教の息子である義勝が後を継ぎますが、この時なんと9歳。しかもすぐに亡くなってしまいます。

その後さらに若い8歳の義成が後を継ぐのですが、この義成が後に「足利義政(あしかがよしまさ)」となり、室町幕府に大混乱をもたらす事になるのです…

終わりに

いかがでしたでしょうか?

後醍醐天皇の武士をないがしろにした政策は武士の反感を買い、足利尊氏の活躍により室町幕府が開かれ、足利義満やくじ引き将軍などの活躍もありました。地味だ、地味だといわれる室町時代ですが、けっこう面白い人物もいたんですよね。

ちなみに昭和の人にはとんちでお馴染み「一休さん」もこの頃のお話ですね。将軍義満に城に招かれ

「屏風の絵の虎が夜な夜な暴れるので退治して欲しい」

といわれると

「退治しますから屏風から出して下さい」

と返して義満を唸らせた話が有名です。

義満さん…

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